2006-01-01から1年間の記事一覧

 2 咲〜ともだちであること

なぎさとの違い 咲は先代プリキュアのもうひとりである美墨なぎさの位置にある。そして舞とほのかが異なる性格を持ったのと同じく、咲となぎさも異なる性格を持っている。 咲がなぎさと異なるのは、環境の変化に対する適応度が飛びぬけて高いと思われる点だ…

 1 舞〜ともだちになること

ほのかとの違い 舞は先代プリキュアのひとりである雪城ほのかの位置にある。しかし通常の場合ほのかが対人関係に無頓着であることに比べると、舞は対人関係が苦手であると本人が認識しているようであるし、おそらく客観的にもそうなのだろう。無印開始当初は…

すでにそこにあるもの(2)〜S☆S第2話

昨日は「すでにそこにあるもの」に言及する前に力尽きました。本日こそは。ということでS☆S第2話は先代における無印第8話を描いているのだった。しかし両者の間には重要な違いがある。それこそがS☆Sにおける主題であると思われる「すでにそこにあるもの…

カレハーン

登録してみた。継続的にやってみる。

 3 10倍の100倍

というところでプリキュアたちの反撃が始まるのだが、そこまでやるとは思わないよな。特に無印を見てきた視聴者であれば、ウザイナーをうんしょとひっくり返すぐらいだと思うだろう。それがアレだ。プリキュアとして素の力が約10倍で、聖霊の力が加わるとこ…

 2 大人として茶番を見るカレっち

「俺はカレハーン。カレっちと呼んでくれ」 このシーン、放映ではお茶吹かせていただいた。舞が絵を描いている時から登場しているにもかかわらず、カレっちはあの瞬間までニヤニヤしながら眺めているのだ。サーキュラス大先生以上のストーカーというか覗き趣…

 1 相互担保する外部関係と内部関係

今回S☆S第2話では、日常という得体の知れない抽象を「歓迎会」というとても具体的な出来事に集約した。これは二つの効果を持つことになる。 ひとつは咲がプリキュアとして戦うと決意するシーンが、我々視聴者にとても響くものになったということだ。しかし…

すでにそこにあるもの〜S☆S第2話

ぶっちゃけはっちゃけノーノープロブレム全開のS☆S第2話の感想です。すでにそこにあるものに気が付く、というのがS☆Sの基本路線であると思われる。それは先週見ていたプリキュア初変身までの道のりで予測されたことだった。 フラチョなど聖霊がずっと緑…

咲たん今日も絶好調なりー

似せるのを諦めました。バナー用。Windowsがかなり崩壊しているようで、タブレットのデバイスドライバが入らなくなって、パッチも当たらん。HDD買って再構築かなあ。

舞ちん

あーやっと終わった。さてバナーつくらないと。

江戸時代のチョッピチョピー

頭身が下がって、体が小さくなったチョピー。おそらく江戸時代に印籠の姿をしていた頃の似せ絵だと思われます。

世界との相互信頼〜プリキュアの積み重ね

思うにS☆Sは、やっぱり先代の続きです。といってもお話としては完全に別物です。我々視聴者にとって、先代と当代がつながっているということです。ただしまだ第1話なので今後変わるかもしれないです。 咲舞はなぎほのが2年間かけて作り上げた、世界との相…

その時代に一番合った

「相互魂魄力!」とか言うのだろうか。下の空欄は適当に。現代:携帯 高度成長期: 終戦前:懐中時計 江戸時代:印籠 戦国時代: 室町時代: 鎌倉時代: 平安時代: 奈良時代:釈迦如来像 飛鳥-古墳時代:円筒埴輪 弥生時代:三角縁神獣鏡 縄文時代:土偶今…

 3 選ばれしふたり

プリキュアになる運命 先代プリキュアと当代プリキュアにおいてもっとも異なるのは、当代が選ばれし特別な存在であることが明確にされていることだ。先代はたまたまプリキュアになってしまったという描写になっていた。美墨家には突然メップルが飛び込んでき…

 2 オトコノコ的、オンナノコ的

フラチョ 行動において明確に、フラッピはオトコノコ的役割を、チョッピはオンナノコ的役割を果たしている。 1)外部と語るのは常にフラッピである。たとえば「ふたりにお願いがある」と語るのがフラッピ。またスペック好きというか、物事を説明するのがフラ…

約束以外〜SS第1話

昨日の日記の続きです。

 1 テーマは約束

テーマは「約束」と見たナリ〜。約束という単語で理解できる描写がいくつも見当たる。先代プリキュアは、いくつかの基本的なテーマをかたくなに守りつづけどんどん深めてゆくという、非常にまじめな(不器用と言えるほどの)作品だった。今回もそうだとする…

約束〜SS第1話

ほぼプリS☆Sとして再びスタートナリ〜!

みちたろさん論考へのコメント

ということでマジレンジャーの最終回とS☆Sの第1話を見ることなく。今は明日の合同誌向け文章を辛苦の中で書き中なのでコメントで勘弁してください。 戦いは結局、(iii) クイーンが復活するということによって決着がつくのですが、しかしひかりを放棄してク…

 8 世界を繰り込んで自分を生きる

だから第二の復活は描かれなければならなかった。内閉して外部と断絶するのではなく、内部と断絶して外部に寄りかかるのでもなく、他者との関係を繰り込んだ上での内的確信へ還ってゆくために。

 7 二度復活しなければならなかった理由

世界を背負う論理の違い プリキュアたちはドツクゾーンと戦っている。ドツクゾーンの首領であるジャアクキングが決して和解しない征服者であるため、この戦いは絶滅戦とならざるを得ない。プリキュアたちが戦いを終わらせるためには、ドツクゾーンを消滅させ…

MH最終話をもうちょっと詳しく(5)

リファラを眺めていたら「美墨なぎさとの裸体」を検索している人がいた。あなたが探しているのは誰の裸体なんだ。ということで昨日からの続きです。ありえなーい!で始まり、ありえなーい!で終わったありえないアニメ番組の感想です。

MH最終話をもうちょっと詳しく(4)

昨日分日記の続きです。さて映画「雪空のともだち」では神として描写されたプリキュアたちであった。しかし本編では人間であるということの意味を突き詰めることで命そのものとなる、そういうプリキュアたちが描かれたのだった。 それを良く示しているのが、…

 6 心の宇宙、燃える命、真の力

彼女たちは突然日常の話を始める。「宿題忘れた、卒業文集かいてない」というのは、なぎさ本人にしか意味がない。「アサリを買う」というのは、ほのか本人にしか意味がない。ふたりは世界の全てから自らを遮断して、ただ自分の内側だけを見つめているのだ。…

 5 放下著〜二度目の復活

もう一度書く。「伝説の戦士プリキュア」であることを意識から消し去ること、存在の根源からただの人を生きること。それこそがまさに「伝説の戦士プリキュア」であるそのことなのだ。 最初の復活でプリキュアたちは強くなった。だが強くなったことで何が起き…

 4 プリキュアたちの不完全な復活とクイーンの不完全な復活

できる限りのことをしたにもかかわらず決定的に負けたとき、人にはもう何も残っていない。そのとき人は何もまとわない裸の自我となっている。何もできない、何の役にも立つことができない、ただ存在するだけの剥き出しの自我だけで存在している。 最終回がは…

MH最終話をもうちょっと詳しく(3)

昨日分日記の続きです。

 3 ただしそれは仮の復活

ということでひとりきり(プリキュアはふたりでひとり)で戦うことの限界を認め、前衛として正義を代表することをやめたがゆえに、プリキュアであることを家族=世界に承認を受けたなぎさとほのかであった。そして自我境界が崩壊したふたりは、全ての人に魂…

 2 プリキュアとして承認を受ける

この復活についてはもうひとつ重大な転換が描かれている。それはなぎさとほのかがプリキュアであること、プリキュアとして試練に耐えてきたことが世界に承認されたということだ。なぎさの回想およびほのかの回想において、彼女たちの家族はプリキュアとして…

MH最終話をもうちょっと詳しく(2)

昨日からの続きです。この文章はいずれ「物語だけを見ていては、今回示された物語は理解できない。構成と演出という作劇手法を物語の内容に積極的に繰り込んで物語を理解しなければならない」という文を説明することになると思います。 ストーリーとしての整…