追記:不毛な議論、理解と同意

あんたがポポ糞を許容するなら、あんたと俺の考えは永遠に理解しあえない
なにを話しても水掛け論だ、これ以上質問しても「不毛」なだけだぜ・・・
(過激さん、2006年6月6日コメント)

たしかに、過激さんがポルンを許せない理由がわかった以上、あまりそれについて質問することは残っていないと思う。しかしそれは、たとえばもし過激さんがポルン大好きで、「ポルンかわいいよポルン」の理由を尋ねたとしても同じだろう。どちらにせよ、そうそう何度も聞かなくていい話だ。
過激さんにいただいたコメントを通じて、僕は過激さんの感じ方や考え方を知った。しかし僕はそうではない。一般化した言い方をすれば、ポルンに対する過激さんの思いを、僕は理解するけれど同意しない。それを図にするとこんな感じになる。
理解と同意
この図の意味において、過激さんとコメントを投げ合うことはポルナレフ状態から強敵と書いて(ry状態への移行であると思われる。これが「不毛」かというと、僕は不毛ではないと思う。不毛というのは理解も無ければ同意も無い、お互いが別の世界に住んでいて敵意だけがあるという状態だろう。
さらに今回の件で言うと「ポルンかわいいよポルン(;´Д`)」とか「ポポ畜氏ねや(゚Д゚)」とかどちらでもよいのだけれどスローガンだけで意気投合してしまうのは、僕にとっては楽しくない。たとえばプリキュアのオフでひたすら「なぎさタンはぁはぁ」という人がいたらそんな人はいやだ。たぶんそういう人にとって、僕のように意味を考えてばかりの人は嫌だろうけれど。
言葉を交わすということは、上の図では下側から上側へ移動することだ。ポルナレフから強敵になるということであるし、うわべの付き合いからナカーマになるということだ。それは言葉を交わしてゆけばやがて必然的に動いていくだろう。しかし右から左、左から右という移動は、個人の歴史や信条や状況がかかわる事である。必然的に強敵からナカーマになるわけではないし、その逆もまた然り。
だからナカーマにならなくとも、強敵になれるだけでもすばらしいことだと思う。