過激さんIII 電子の要塞

ということで三回目です。

ポルンの評価

id:dokoiko:20060608では過激さんのポルン理解および評価をまとめてみた。そこでますます強引にまとめてしまうのだ。

  1. ポルンは幼児として造形されている→ポルンむかつく
  2. ポルンの「かわいさ」が過剰に演出されている→製作者許せん
  3. ポルンの幼児性が作品中で積極的に許されている→ありえない

こんな感じだと思われる。ポルンがそのようであるというのは僕も同意する。上記「ポルン」を「○○○」にしてみれば、僕にもこういうことはある。しかしだからといって過激さんのような具体的かつ徹底的かつ継続的な行動は取ったことが無い。「大好きなプリキュア」にこのポルンが登場したことが、過激さんを過激にしているのだろう。

作品に対する接し方

過激さんと僕が異なるのは「ふたりはプリキュア」という番組の受け取り方であるように思える。ある観点からすると、過激さんは行動的である。「過激さんが好きなプリキュア」を取り戻すために、無意味かつ間違った行動かもしれないけれど過激さんなりの行動をしている。しかし別の観点からすれば、過激さんは受動的である。「過激さんが好きなプリキュア」に縛られていて、「ふたりはプリキュア」においてポルンが果たしている役割や、ポルンを通して描かれたものを受け入れることができない。
ふたりはプリキュア」においてポルンにはいくつか重要な役割が与えられている。またポルンを通して描かれたものも少なくない。過激さんがもしポルンを我慢できるぐらいには受容できるのであれば、過激さんはもっともっとプリキュアを楽しむことができただろう。
たとえば無印の最終決戦ではポルンが最後のカギであったわけだが、ポルンの歴史を丁寧に見ていれば、あの大化けを「ご都合主義」だとは思わないだろう。MHでは九条ひかりの成長や心情がポルンとの関係を通じて描かれる場面があり、九条ひかりのストーリーはポルン込みのほうがずっと厚みが増す。
過激さんから見れば僕は一方で「与えられたポルンを無批判に受け入れるアニオタ」であり「ポルンの害毒を追求しない愚者」であろうし、また一方「ポルンに躓かずにプリキュアを楽しめた勝ち組み」かもしれない。