MH最終話をもうちょっと詳しく(2)

昨日からの続きです。この文章はいずれ「物語だけを見ていては、今回示された物語は理解できない。構成と演出という作劇手法を物語の内容に積極的に繰り込んで物語を理解しなければならない」という文を説明することになると思います。
ストーリーとしての整合性が無いという言及は結構多くのサイトやコメントや書き込みに出ている。ここでの整合性とは、最終回の展開に絞ります。

  • プリキュアたちがどのように復活したのか、クイーン復活後にルミナスがなぜ命を失わなかったのか、戦闘終結後にメポミポともう合うことは無いと言ったのに復活しているのはなぜか、あのお方がなぜひかりの弟におさまっているのか

と、このあたりが謎であろう。少数の粘着さんたちが頑張っているのかもしれないけれど。僕はそれに同意します。だが「だからダメダメ」とか「でも作画は良かった」とか「ともあれめでたしめでたし」という結論について、僕は同意しません。ストーリーに整合性が無いのは、製作者たちが努力または抗議したが与えられなかった、という状況ではない。与えなかったのだと考えている。
ストーリーとしての整合性を与えなかったという選択はそれ自体が「ふたりはプリキュア」の中心的なメッセージそのものであると考えている。
追記:ただし、そういうものや他のものを読み込んだ上で、趣味ではなかったり納得できなかったりというのはある。それは好みの問題なので僕は尊重したいと思う。また読めないというのも能力の問題なので仕方ない。問題は読まない、読もうとしないことだ。