2 大人として茶番を見るカレっち

「俺はカレハーン。カレっちと呼んでくれ」
このシーン、放映ではお茶吹かせていただいた。舞が絵を描いている時から登場しているにもかかわらず、カレっちはあの瞬間までニヤニヤしながら眺めているのだ。サーキュラス大先生以上のストーカーというか覗き趣味をお持ちのようで何よりだ。しかしよくよく考えてみると、このシーンにおけるカレっちの行動は単なる受け狙い以上の意味があることに気が付く。カレっちは咲舞の行動をずっと眺めていた。

咲「私も、舞って呼んでいい?」
舞「うん」

ここでカレっちが割り込んでくるのである。かつてのピーサード大先生ならばそんなことにはお構いなく「伝説の戦士プリキュア。石はどこだ」と切り返すところである。ゲキドラーゴ選手であれば彼なりに関係なく「今日こそおまえたちを倒すウガガ」である。ポイズニーもしくはビブリスであれば「相変わらず友情ごっこかい。しかしそんなものジャアクキング様の前では無力でしかない」であろう。
そういうように、これまでの敵たちは日常と無関係に対決の非日常に引きずり込むか、プリキュアたちの大切なものを否定するかのどちらかであった(ビブリスだけは違う感じがする。カレっちはビブリスの態度を引き継いでいるように思われる)。
カレっちは違う。カレっちは彼女たちの日常を理解しており、その上でバカにしているのだ。カレっちもまた(咲舞の)日常と戦いの非日常を往復している。
カレっちは大人として咲舞の無印第8話を外部者として眺めている。そしてそれを「子供の茶番だな」と茶化しているわけだ。カレっちは無印第8話を眺めている視聴者である。「ほんと、子供って単純だよなー」と、咲舞をコケにしている。これは製作者たちが無印を相対化して、無印の重力圏から脱出しようとする決意であると思われる。
と同時に咲舞の大切な心をコケにするカレっちを、咲舞および視聴者は憎らしく思わないわけにはいかなくなる。大人の余裕でふたりの心を馬鹿にしているし、ウザイナーは巨大だし、プリキュアたちはシバかれて苦しんでるとプリキュアの物理的な無力さをもバカにしている。散々馬鹿にされるこの構成は時代劇だよな。というか必殺シリーズだよな。プリキュアたちはウザイナーのツルを捕まえてふんばる。しかしさらにカレっちはふたりを見くびっている。