2005-01-28から1日間の記事一覧

 4 形式拒否の自己運動

以上「ふたりはプリキュア」が絵の形式を拒否するためにあえて古い絵を選ぶというルネサンスの方法をつかったのだということを書いてきた。それは理念として製作者たちが狙ったことだろう。そしてそれは相当程度成功しているだろう。 で、絵の領域で現在アニ…

 3 記号から絵へ

人が絵を描き始めたとき、それは単に絵だったはずだ。絵が無いのに絵を何かの手段にするなどと考えることはできない。絵が絵として認知されて、徐々にそれを何かの手段として使われはじめる。そして何かの手段として使われ始めれば、手段としての効率を求め…

 2 最後の晩餐

例えばキリスト教絵画で定番の「最後の晩餐」を取り上げてみよう。下記リンクはゴシック最大の美術家と言われる(らしい)ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)作「最後の晩餐」である。 The Last Supper - L'Ultima Cena 1304-1306, Giotto di …

 1 ルネサンスとプリキュア

「ふたりはプリキュア」の絵における普通っぽさの表現技法についてはひでさん(自己満喫。雑記 No.145)とえみさん(id:s-takee:20051028)におまかせしますです。 ひでさんが「古さを出した」という言葉を抜き出していて、同じことをえみさんは「昨今の流行…

ルネサンス手法の良さと悪さ

なんだか書いているうちにまったく別の論点へ進んでしまいました。最近のほぼプリでは「手をつなぐ」というところに焦点を当てたことが「ふたりはプリキュア」の最大の意味ではないかと書いている。しかし今日はその「手をつなぐ」というのはほかに描くもの…