2 最後の晩餐

例えばキリスト教絵画で定番の「最後の晩餐」を取り上げてみよう。下記リンクはゴシック最大の美術家と言われる(らしい)ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)作「最後の晩餐」である。
The Last Supper - L'Ultima Cena 1304-1306, Giotto di Bondone (1267-1337)
ジョットはビザンティン様式から絵画を解き放った立役者(らしい)が、その天才ジョットにしてこの様式なのだ。絵のことは良く分からないが、音楽ならちょっとはわかる。ジョットはJimi Hendrixのような存在なのだろう。Jimiは現在のロック派生音楽の原型をひとりで作ってしまったといってもいいという評価もある天才で、今聞いてもとてもスリリングなのだ(ただしスタジオ録音のアルバム4つを聞いても彼の才能は10%もわからない。ギター燃やした67年6月17日モンタレーでの一発目"Killing Floor"のJimiじょんがらギターの炸裂っぷりとMitch Mitchellずんどこドラムの爆発っぷりは…以下略)。しかし技法的にはやはり古いといえば古く、楽曲も(後期は特に)R&Bに片足を突っ込み直している。しかしR&BにとってJimiは革命的な出来事であり、当時の音楽を考えるとJimiはこの世ならぬ存在がこの世に降り立ったようなものだ。
Jimiはおいておいて「最後の晩餐」だ。これがルネサンスを経るとどうなるか。誰もがみんな知っている、ミスター・ルネサンスであるレオナルド・ダビンチ氏が描くとこうなった。
ここの一番下The Last Supper - L'Ultima Cena, 1498, Leonardo da Vinci(1452-1519)
こうなる。ジョットの絵は確かに中世宗教画的な横向きの平板な人物とは大きく隔たっている。しかしイエスおよび使徒に意味を置きすぎているがゆえに、背景はそれまでの宗教画と同じように「壁という記号」でしかない。また人物の頭部はことごとく光輪に包まれている。イエスの光輪は金色で、使徒たちの光輪は黒く、そして裏切り者ユダの光輪だけが薄くぼやけている。これは「最後の晩餐」を知っているものにとってはたまらない描写だろう。だが黒い光輪なんて、今見たら「めんどくさいから描くのをやめたんじゃないの」と思うぐらい不自然だ。しかもユダが何者かを知らなければ、光輪が薄くなっていることにすら気が付かないかもしれない。
ところがダビンチの「最後の晩餐」になると、背景は遠近法と明暗を駆使して風景として描かれていて、机は机として、パンはパンとして描かれている。誰が見てもそれは机であり、パンである。そして使徒たちの顔はさまざまな表情が陰影をもって描かれている。悲しみ、猜疑、怒り、あせり、驚き… 今そこで何かとんでもないことが起きていることが誰にでも分かる。絵が意味であることをやめ、絵は絵であることを取り戻しているのだ。