2 学生運動と無視された個〜無印後半

そしてやっぱり闇の側は近代日本であった。第一次決戦で負けたのは、対米戦争で何もかもが灰燼に帰した日本である。戦後の日本では、戦後育ちが戦前育ちに、ベビーブーマーたちが親の世代に反抗しまくった民主化運動(60年安保、70年安保がそれぞれの節目であった)という現象があった。無印後半においては、闇の分身たちが戦後日本のベビーブーマーであったと考えると分かりやすいだろう。
学生運動のころの日本をベビーブーマー側から眺めると、戦前の帝国を復活させようとしている旧世代を拒否することと、新たな民主国家を樹立することが運動側の理念であった。運動の手段は結局のところ暴力革命であり、日本の統治権を巡る旧世代との権力闘争という構図になった。
分身たちはジャアクキング様を打ち倒して、新たなる支配者を目指した。分身たち自身の自由のために。しかしジャアクキング様を復活させなければ、彼らは戦い続ける力を十分に維持できなかった。まさに親のすねをかじって親世代に抗議をした学生運動ではないか、と思う。無印後半の終盤では分身たちとジャアクキング様との世代闘争が盛り上がる中、プリキュアたちはほとんど蚊帳の外に放り出された格好となった。
無印後半では、プリキュアたち光の側はアメリカではなくなっている。民主化運動(特に学生運動)の時代に「対幻想」を生きた人々というのが、無印後半におけるプリキュアたちの立場であろう。プリキュアたちが無視されたのは、ドツクゾーン内の権力闘争に関わっていなかったからだ。プリキュアたちは無印後半において「今を一生懸命生きる」ことと「日常を大切にする」ことを学んでいった。これらは学生運動の理念からは全く無視されたわけで、綺麗に符合する。
学生運動は結果的に体制にとって取るに足る敵ではなかった。では69年を粛々と終わらせた体制側が帝国を復活させたかというとまったくそうではなかった(まあそれは運動側の危機感であり、保守本流が帝国再興を目指していたかというとそうではないのだろうけれど)。結局のところ最終的に勝利を収めたのは「今を一生懸命生きる」「日常を大切にする」非政治的な大衆だった(もちろん70年以降に非政治的になった運動参加者も)。

マックスハートについては昨日の日記で(ひとまず)よろ〜

ということで無印後半も最終的にはプリキュアたちが勝利するのであった。そしてプリキュアは二年目のマックスハートへ突入する。MHはぶっちゃけ80年代のシステム社会論に代表されるような「全体と個の逆立」とか、90年代以降の自分探しという文脈である。
これについては昨日のid:dokoiko:20060118の第2節から第3節につながるので、そちらを読んでみてください。
(ということで全然書き直してないし。明日も書き直しを続けます)