3 九条ひかりの両義性

これは次節にも関係するのだが、ひかりは無知からものすごい勢いで成長する「究極の子供」でもあり、なおかつ全てを生み出す光の力と共にある「究極の大人」でもある。一般的に物語の中における子供は、トリックスターであったり大人の常識をひっくり返したり、知らず物事の本質を見つけたりという役割を担う存在である。それは結局われわれ市井の凡夫から見れば「究極の大人」に近い役割を担っているということである。
だから現在の九条ひかりは、子供が見ればちゃんと子供らしく映り、大人が見ればクイーン的なる存在として映るということだ。ひかりを眺める立場に応じてそれなりの見方ができる、というこのあたりの設定はとてもうまく、「ふたりはプリキュア」が子供と大人のどちらにもちゃんと訴えかける作品となっている理由のひとつだろう。