ひかりを通してつながるなぎさとほのか

最近個人的にはみちたろさんにやられっぱなしで、今回のMH第11話についてもみちたろさんのこれ

今回最初に“手をつなぐ”ことを示したのはほのかでした。しかしほのかはもともと“理の人”だったことを思えば、これはほのかの大きな変化を示しています。
プリキュアをひそかに応援したい日記,4月19日(火) 第11話感想補足(手をつなぐこと)

を読んでやられたーと思ったのだった。常にいつも最初からそもそもやられているかもしれないということは考えない。うーむなるほど納得。みちたろさんの指摘に納得し、これを下敷きとして考え始めるとする。

なぎさとほのかの間

無印開始時に、なぎさとほのかは対照的に描かれた。完璧な人間が存在するとして、その性質を二つに割ってそれぞれなぎさとほのかに割り振ったという感じだった。そういう彼女たちがなかなか近づけないのは当然のことで、しかしプリキュアに変身するためにむりやり手をつないでいたのだった。
ほのかは状況をすんなりと受け入れる資質を持っており、なおかつ人とやり取りをするときに人間関係の親密さをあまり苦にしない。だからほのかがプリキュアになってしまったことを受け入れている事を知ると、なぎさはほのかに対して違和感を抱くこととなった。また、普段の生活では活動的で人当たりの良いなぎさが、実は言いたいことをこらえがちであり、おしとやかで良い子のほのかは「やりたいことはやればいい、言いたいことは言えばいい」という性格だった。そういうなんやかんやの末、藤Pをめぐりふたりが違和を発露させたのが無印第8話だった。
結果的にふたりは手をつなぐことでお互いを認め合ったことを確認したのだった。
その後は何もかも許しあうような友達になった。またそれまでひたすら対照的だった二人の性格も、それぞれがお互いの要素を身に付けていくように進んだ。ほのかはだんだんとクラスの中に結びつきを持つようになった。なぎさだけではなく志穂莉奈と4人でも下校するようになったし、京子夏子や柏田真由なども近い存在となった。うんちく女王も返上する勢いになっていった。
なぎさはあまり変化が無いように見える。しかし初期のころの「ありえな〜い」という言葉はだんだんとなぎさから遠くなっていったように思う。なぎさのほのか化は、日常生活よりもむしろプリキュアとしての非日常において進んだのだろう。魔人を一人一人倒していくうちに、なぎさはだんだんと正義の基盤を広げていった。
ピーサードはまずほのかがひとりで倒したと言っていいだろう。第8話をまだ体験していないなぎさにとって、戦うことは彼女の役目ではなかった。しかしゲキドラーゴを倒したのはなぎさだった。この時点では弟を守るという全くプライベートな理由だった。ポイズニーを倒したとき、なぎさはようやく敵の手ごたえを感じていた。なぜ命を賭けてまで魔人たちはこのわたしに戦いを挑むのか、という疑問をなぎさは感じていた。しかしプリズムストーンを渡すわけにはいかない、となぎさは続けた。ポイズニー消滅時点では、しかしという逆接でなぎさは語った。ということは、使命がそこにあることを理解しているが、それでもこのわたしがその使命を引き受けなければならないことに対して違和感をまだ感じていたということだ。なぎさがそこにある使命を自らのものとして受け取ったのは、そこから第一次最終決戦を終えるまでのことだった。
ただし基本的なスタンスとしては、なぎさとほのかはかなり離れたところに位置している。プリキュアという使命がその役割を終えたとき、ふたりはまた交わらぬ世界に分かれ、別々の道を進むことになるだろう。

ふたりをつなぐ九条ひかり

なぎさとほのかが離れているというのは、今回MH第11話にも現れている。
ほのかは現在なぎさの母親的役割になっている。というのは体育祭で自分の弁当を取られても何も言わなかったり、無印「最強の絆」でなぎさにヨシヨシしたりというところに現れている。もともと登場人物たちの中では飛びぬけて大人の特徴を備えていたほのかであったが、役割においてもなぎさの母親となることでなおいっそう大人としての行動に拍車がかかっている。
みちたろさんの指摘のように、子供である九条ひかりが「試合劣勢のなぎさに何かできないか」とほのかにたずねたとき、ほのかは「見守ることしかできない」と言うのだった。とはいえこの場面では、ほのかだけではなく光の園チーム全員が手をこまねいていたのだった。それは人間の世界に慣れてしまった者全てにとって、当然の対応だ。
だがそれぞれの態度を見てみると結構違っていて、メポミポポルンはだいたいなぜなぎさが劣勢に立たされたのかが分かっていない。ハーティエルたちはそれぞれが個別の意志を代表しているので、それぞれの限られた分野のことしか見えていない。これが番人や長老ならばまた異なるのだが、ハーティエルたちが分析的であり同情的でないのは彼らの生い立ちからして当然だろう。
そしてほのかは、ベローネラクロス部の問題に気がついていながら、何もできないと半ばあきらめている。ほのかの態度は、同じ立場にたてばおそらく多くの人が採る行動だろう。ほのかを責めることはできない。ラクロスの試合なのだから、ラクロス部員ではないほのかにできることなど無いのだ。これは正しい「大人の判断」である。しかし、プリキュアというつながりで命をかけて一年をともに過ごしたなぎさとほのかなのだ。そんななぎさのピンチに、ほのか以下光の園チーム全員が漫然とベンチに座って眺めていていいのか。
そういうなぎさとほのかの中間点に現れたのが、九条ひかりだ。九条ひかりは何も知らない状態でこの世に生まれ出た。ということは、ゼロの地点にいるということだ。なぎさとほのかの真ん中にいるということだ。ひかりは今回、ほのかの内なる叫びを担うかのように制止を振り切って、頭を抱えて座るなぎさがいるグラウンドへと駆け出していった。九条ひかりは、ほのかの元からなぎさへと向かうことで、ほのかとなぎさをつないだのだった。
というのは、なぎさはその瞬間、自分の手を握った九条ひかりのことを考えたのではないからだ。九条ひかりの手のぬくもりは、なぎさにとって前日に感じたほのかのぬくもりだったからだ。
ということで、今回はなぎさのピンチにあたり、九条ひかりがほのかとのつながりをなぎさに思い出させた。一方通行ではないと考えられるので、そのうち今度ほのかがピンチになったとき九条ひかりがなぎさの思いをほのかに伝える役割を担うことがあるだろうと考えられる。