記号としての子供

ポルンが駄々をこねるというのは、ポルン登場初期においては子供を表現する単なる記号として利用されていたように思います。大人の目に映る「対象としての子供」がポルンであったと言うこともできるかと思います。無印前半などは特に、彼の駄々は「大人を困らせる手段」として描かれていたように思います。また彼が何度も勝手に外出したのは、子供=大人世界からの逸脱者という特権性を利用した物語展開手法だったように思います。
つまり無印前半におけるポルンは、物語の都合に合わせて無理やり子供らしき行動をさせられていたのだと思います。彼のわがままには意志を感じることができなかった。そもそも無印での彼に意志があったのかどうかもあやしい。
いや、実はそれは正しいことなのかもしれない。無印のポルンは他と区別された自我を持つ以前の、幼児そのものだったのかもしれないからだ。その心はまだまだ未分化であって、分化した自我をすでに持ってしまっている大人にはよくわからない何かとしてしか映らないものなのかもしれないからだ。
無印でのポルンが最後に覚醒したことについて、唐突だったと感じている人が結構いるのかなと思うのだが、それも無印ポルンの行動が記号としての子供だったからなのかなと思う。