特捜最前線

今日のデカレンジャー特捜最前線でした。
追記:もうちょっとどのへんが特捜最前線だったかということを書いておくと、まず「犯人」がいい奴だけど貧乏ということ。これは同時期の太陽に吠えろとか西部警察とかGメンとかとは違い、特捜最前線が刑事モノとして隔絶した位置を占めていた理由で最も大きなものだ。他の刑事モノが定型的な正義と定型的な脚本を常とした「水戸黄門型」の番組だったのだが、特捜最前線は毎回シナリオに変化があり、犯人=悪者という図式を否定していた。犯人=悪者ではないとなれば、犯人が犯罪に至った背景こそが犯罪の真の原因であるわけで、原因は多様だからシナリオが同じになるわけがないのだが。
で、特捜最前線の場合は社会に疎外された人間たちが止むに止まれずそこにたどり着くしかなかったとか、人間の内側に存在するわけの分からない衝動が犯罪となって現象したという筋書きが多かった気がする。その他にもその時々で取り上げられた社会現象、例えば家庭内暴力などのトピックをいち早く脚本の中に入れ込む同時代性があって、他の刑事モノとは異なるドキュメントっぽさがあった。
第二に特捜課の刑事たちがけっこう頻繁に犯人の側に心を寄せてしまうというところも違った。これは犯罪の社会性を描きつづけていた特捜最前線には避けて通れないことである。素の犯人たちは悪い奴もいるがそうでない人間も多く描かれるわけで、犯罪そのものと犯人とはパラレルではない。そこに開いた隙間に刑事たちが入り込んでしまい、苦悩するわけだ。
第三にバッド・エンドが多かったこと。これも犯罪の社会性を重視する場所には当然頻出するわけで、犯罪を犯したことを許すわけにはいかないが、その犯罪を犯さなければならなくなった犯人を断罪してしまうことはできないという状況に陥ることがままあるわけだ。
そんなわけで今日のデカレンジャー特捜最前線だった。あの安アパートとか、貧乏とか、あのセンスは特捜最前線時代の80年代までの日本社会だよな。あと最後に雨に打たれて立ち尽くしているとか、演出も結構意識してやってたんだろうなと思う。最後にクラシックギターが鳴り始め、チリアーノが歌いだすかと期待したのだがそこまではしませんでしたね。
わぁーたぁーしぃ〜〜〜〜 だけのじゅうーじぃかぁ〜
ちなみに社会派ドラマだった特捜最前線は、ドキュメントが消滅していったのと同じく80年代後半に終わりました。その後テレ朝の刑事モノは「犯人=悪」の定型化は拒否したものの人情に流れていって、はぐれ刑事純情派とかあのへんに共感の理由をもとめるようになったわけですね。人情を切り出して純情派に割り振り、多少のドキュメント性を赤かぶ検事に持っていって、社会性はさすらい刑事旅情編に入れてみて、トレンディさを混ぜてみてはみだし刑事情熱系をやったわけですな。特捜最前線については愛しのドラマ・特捜最前線あたりを参考に。
もっとちなみにといえば、暴れん坊将軍の第1クールもなんと社会派というか定型化していなくてそれなりの深さはあるシリーズだったし、必殺シリーズも初期はそうだった。ザ・ハングマンは第1シリーズめちゃめちゃ渋くてかっこよかったよな〜。ああいかん、走馬灯モードになってしまっているな。