4 さなえおばあちゃまとの絆

さなえおばあちゃまはどこまで知っているのだろう? 第26話でさなえおばあちゃまが小さく一言「お疲れ様でした」とつぶやいているのを思い出すと、何がどうなっているのかはわからないけれどさなえおばあちゃまはドツクゾーン編でのなりゆきを知っているようにも思える。まあそれは今後のいきなり展開に任せることとしよう。
今回第28話では、戦闘中のなぎさとほのかが坂の頂上で見てしまった無数のザケンナーに絶望し、そして希望を回復した。
あの坂の頂上では、さなえおばあちゃまとなぎさほのかが重なり合い、また60年前と現在が重なり合っていた。その重層性を視聴者はきちんと感じることができただろう。さなえおばあちゃまの回想が常になぎさほのかの今回のエピソードに先行して描かれており、さなえおばあちゃんの体験をふたりが60年の時代を経て追体験する(なぎさとほのかが、さなえの過去を彼女たちの過去と意識的に重ね合わせる)プロセスがきちんと時間軸に沿って並べられている。
ところでさなえの話は坂の頂上で希望を思い出した時点で途切れており、結局そこからどうなったのかはさなえの口から語られなかった。これはなぎさとほのかの戦いがいまだ道半ばであることに対応している。ふつうの年寄り話ならばそこから苦労したとか今はいい世の中だとか結論が来るが、そのあたりは両者の対照性を崩さないようにと考えてある。
しかし、両者の結論はラストシーンに示されている。さなえおばあちゃんの話は坂の頂上で途切れている。そこからはなぎさほのかの描写となり、戦闘シーンがあった。さなえおばあちゃまの話は語られぬまま中断されていたので、まだ話は終わっていない。これはその坂の頂上で希望を思い出してから結論が出るまでに長い時間がかかったと言うことを表現している。当然それは、なぎさとほのかの物語にも結論が出るまでに長い時間がかかるだろうということを対照的に暗示している。
話の構造としては視聴者もさなえおばあちゃまの思い出を追体験するわけで、視聴者は絶望だらけでいやーな気分になることなくそれこそ希望をもって物語をたのしむことができただろう。それはあそこでザケンナーたちがいたことを予想できたということではなくて、あの場面で視聴者がアバンタイトルでのさなえおばあちゃまの絶望と希望を思い出し、坂の頂上からザケンナーを見下ろすなぎさにも希望が訪れるだろうと感じることができただろう。