1 対照、呼応の面白さ

S☆S第15話は左右、上下の対照的な構図を何度も使っている。満と薫が画面上で左右対照に描かれている。座席についているときなどは物理的に仕方が無いが、Aパート冒頭にてゴーヤーンと会話しているときから左右対称である。
Aパート中盤でドロドロンと会話しているときは、靴が左右から出てくる。直後には下からのあおりカットで左右対称、その次は上からの俯瞰で左右対称に描かれている。カメラの動きがここではあおり→俯瞰で「上と来たら下」と呼応している。ついでにあおりと俯瞰という構図は、満薫が不気味な存在として感じるようになっている。
夢のシーンでも、咲のorzは夕方の海岸チェックの反復だし、黒潮の100人ホームインも反復である。で、当然咲と沙織さんの手を合わせるシーンも、小さいころの反復である。
ドロドロンが姿をあらわした歩道橋のシーンでは、ドロドロンと咲がいがみ合うのだがシンメトリックに同じ姿勢と構図で描かれる。
ウザイナーが巨大化したあと、変身直前の咲舞は俯瞰で描かれている。これはウザイナー視点であるが、Aパートでの満薫と同じ構図である。

映像の面白さ〜S☆S第15話

S☆S第15話は映像の作り方が、これまでのプリキュアには無い仕方で面白かったので書いてみる。ストーリーについてはえみさんがid:s-takee:20060513#p2にて書いているように小さいお友だち向けなので、痛い似非文芸オタ日記のほぼプリでは言及しない。
というか本話数を(Bパートのみらしいが)演出した大塚隆史さんが製作秘話!にてかなり細かいところまで記録を残しているので、本編を見ながら想像することができるのだ。大塚さんありがとう&あい(ry。
とはいえAパートとBパートで同じような絵の演出方法があるように思えるので、小村さんの意図も読み取る必要がある。

 6 これまでのS☆S

というような先代に比較すると、S☆Sにおいてストーリーが見えにくい構成となっている。たしかにストーリーは存在している。しかしそれは見えにくい。7つの泉があって6つがダークフォールにわたっている。そして4つの泉について敵が出てきているので、あと2つの泉について敵が出てきてあとはアクダイカーン様(とゴーヤーン)であるというのはわかる。しかしこれまでのS☆Sでは基本的に敵ひとりひとりが完全に独立しており、日常とも絡まず、アクダイカーン様にしかられては戦いに来るだけだ。よってコツコツこのまま局地戦を戦っていけばそのうち平和が来るという単純なストーリーが予想される。まあそうは終わらないのであろう。しかし語られたストーリーを元に今後の進展を楽しみにする、という感じではない。
たとえばなぜアクダイカーンが7つの泉を求めるのか、僕には良く分からない。アクダイカーンが泉を求めているのは分かる。しかしただ求めていることしか分からない。
カレハーンやモエルンバは単なる攻撃者以上の存在には見えなかった。彼らの描写やセリフ回しは面白いところも合ってキャラクタは立っていた。しかし彼らの描写はいまいちなんというか、僕には鼻につく。誰かにしゃべらされているように思えるのだ。もちろん台本に沿ってしゃべらされているわけだが、先代プリキュアに出てきた敵たちはもっと彼ら自身がしゃべっているような自然さがあったと思う。
(次回に続く)

 5 否定から始まる物語

id:dokoiko:20060517から続く。先代プリキュアが登場人物を絞ったことでお話の密度を上げたというのは周知であろう。主役はふたりだけ。九条ひかりはあのお方と対になって、MHのストーリーを背負った。九条ひかりが日常で主役となった話数はごくわずかだった。準主役も志穂莉奈と家族など片手で足りるほど。先代プリキュアは多数の人物によるお話の水平的拡大ではなく、少数による垂直的積み上げを行っていたわけだ。
先代プリキュアにおける垂直的な構造は、登場人物の数だけではない。エピソードおよびストーリーの構図も同じである。ほとんどの場合においてお話は否定から始まり、そこからドラマが展開して解決に至る。以下、昨日も使った下記の図を参照してください。

入れ子の対立

なぎさの内面における否定と受容(図の白いあたり)

始まりはなぎさのプリキュアおよびメップルの否定、ほのかの否定があった。これらはなぎさの個人的な立場におけるお話である。これを第1のストーリーとしよう。このような個人的な立場をまず整理するところからストーリーを組み立てていったところが、「プリキュア」という番組が独自性と真摯さを持つに至った理由だろう。

個々の敵へ向けられた否定(図の黄色いあたり)

なぎさの立場が固まるにつれて、ストーリーは個々の敵への否定へと拡大されてゆく。これを第2のストーリーと言おう。第2のストーリーはまず第5話のほのか(ホワイト)対大先生からはじめられた。第8話で第1のストーリーが収束したことで、なぎさの内面における否定のドラマは収束した。そして第2のストーリーはゲキドラ−ゴ対ブラックにて収束する。

敵の側から語られる否定

次にストーリーは視線が逆転し、今度は敵の側から語られることとなる。この第3のストーリーにおいて、主役はポイズニーとキリヤだ。否定の権化としてのポイズニーがストーリーの本筋を引き受け、否定と肯定との間を揺れるエピソードを引き受けたのがキリヤだ。
ドツクゾーンが否定を止めるわけにはいかないため、キリヤがこちら側に寄ればポイズニーはそれだけ強くプリキュアたちを否定しなければならない。最終的にポイズニーの必死さとキリヤの苦悩を知ることで、プリキュアたちの否定は個々の敵を超えてジャアクキング様およびドツクゾーンそのものへと向かうことになる。

否定することそのものへの否定

ということで、無印前半の決戦にあたり、プリキュアたちは否定することそのものへ視線を向けることになる。ここでようやく、彼女たちはある程度普遍的な世界を引き受けることとなった。
ストーリーの主軸が個人的な場所から徐々に普遍へと移動してゆくのだが、彼女たちにとって闇と戦う理由はずっと個人的な立場でありつづける。これが説得力をもつのは、日常のストーリーを積み重ねているからだ。

新たなる異物〜ポルンの否定

闇との戦いが一旦振り出しに戻った無印後半は、まずポルンを巡る否定と受容がストーリーとして浮上する。環境の変化を受け入れるにあたり、なぎさは対象と情緒的な絆を結ばなければならない。だからポルンが登場すれば、必然的になぎさとポルンは対立することになる。ということでこのストーリーは第32話「ポルンを励ませ!とっておきのカーニバル」で劇的な和解が行われる。
と同時にこの第32話ではジャアクキング様が復活する。ポルンをめぐるストーリーがこの話数で決着するわけだから、新たなストーリーが始まるのは当然ということになる。

ストーリー整理月間

というか、本番一週間前であのリハーサルはあり得ない…… 第33話から第40話までは日常話を重ねることで、周囲の人物たちとの絆を深める時期であった。プリキュアたちが世界の宿命に対抗するための理由を、ここで強く打ち出しておくためだ。また、ここでジャアクキング様の巨大さを打ち出さなければ、以後展開される分身たちの裏切りが盛り上がらない。

分身たちの反乱

第41話から第48話までは、分身たちがジャアクキング様による支配を拒否するというストーリーだった。プリキュアたちはお互いの絆を確かめ合ったり、藤P問題が終了したり、合唱コンクールを乗り越えたりした。

あきらめない力

で、無印の最終決戦でのプリキュアたちは、ここではじめて否定というテーマを逸脱する。第一次決戦ではジャアクキング様と理念をめぐって問答を行ったが、最終決戦では語り合わない。プリキュアたちにとって、否定の親玉であるジャアクキング様に否定をぶつけても、それはジャアクキング様と同じ事をすることになる。あきらめないから彼女たちはジャアクキングの前に戻っていったし、キリヤは宿命に逆らうこととなり、ポルンはポルンでがんばったのだった。彼女たちにとって、ジャアクキング様の言う宿命に対してあきらめずに立ち向かうことこそが課題となっていた。
というか、おそらくぎりぎりまで中心課題となっていた「自分のためか、みんなのためか」という神学について、プリキュアたちに回答させないという演出だったのだろうと思う。「ふたりはプリキュア」という番組のテーマは、正しい理念を持つことではなく今を一生懸命生きることだ。決戦までは敵がなぎほのの具体的な日常を侵犯してきたため、彼女たちは日常を守るために結果として敵を退けていた。しかし決戦では、彼女たちがドツクゾーンに入り込む。だから具体的な何かを守るという構図が崩れている。だから具体的な日常と切り離されたドツクゾーンでの「防衛戦」は、彼女たちにとって「世界を守るために戦う」という理念に変質せざるを得ない。
ということで、彼女たちが時空の裂け目に落ちてこの世界に戻ってきたのは、必然が偶然を呼び寄せたのだと言うことができるだろう。彼女たちは守るべきものが具体的に感じられるときにこそ、力を発揮するからだ。
ていうかぶっちゃけ、無印の最終決戦において「世界」は視野に捉えられていない。あくまでも「あきらめない」という彼女たちの気合の問題であり、宿命に立ち向かったキリヤのためであり、ブレスを届けてくれたポルンのためであり、つまりぬくもりのある具体的な絆のために戦うのだった。これは無印での対立図式が「世界の運命を握るドツクゾーン」対「日常を大切にするプリキュアたち」に設定されていたからだ。
プリキュアたちが自身の内に無限の可能性を見出して真に成長を遂げるには、まだあと1年の年月が必要だった。
(多分まだ続くと思われますが、一旦間を空けるということで中断みたいな。)