プリキュアはレズビアン物になるでしょうか。

原文はこれ。

ジョンに聞け

プリキュアレズビアン物になるでしょうか。
2005年7月12日

質問:

プリキュアにはほんとうにいらいらします! 私はなぎさにこう叫びたい「藤Pなんて忘れなさい! 彼はあなたを愛してくれないわ! あなたには相思相愛でとてもすばらしい、ほのかという伴侶がいるのよ、彼女をしっかりと抱きしめて幸せになりなさい!」と。この番組でなぎさとほのかがお互いの藍に気づく望みはあるとあなたは思いますか。女の子向けの魔法少女アニメの中で、主役格の登場人物が明らかにレズビアンである番組がこれまであったのでしょうか。セーラームーンでは準主役のセーラーウラヌスセーラーネプチューンが、レズビアンのキャラクターでした。少女革命ウテナでは、ウテナとアンシーが親友以上の関係であると明らかに示唆されていて、樹璃は枝織に対して明らかに恋愛感情がありました。しかし女児向けの魔法少女アニメについて言えば、主役格の登場人物がはっきりとレズビアンである番組を見たことはありません。

回答:

私は長い間ずっと、なぎさとほのかとの関係はお互いが気づいているよりずっと深いのだと考えています。無印第40話では、ひとつのベッドで寄り添って寝るほどに仲良しであるということであり、ふたりがお互いを無二の存在として愛しているということを描いた話数は、無印第42話をおいて他にはないということだった。だがたとえ視聴者にとってふたりがお互いを愛していることは明らかであったとしても、現在「ふたりはプリキュア」描かれている同性愛的な関係をふたりが超えるようになるとは思いません。彼女たちを本物のレズビアンとしてしまうことは、彼女たちの性格造詣を変更することであり、なおかつ番組構成の根本を変更することになるからです。女児向けのアニメでありながらプリキュアは成人男性に支持されているのだけれど、それは微妙だがずっと存在している恋愛的緊張感が番組に存在しているからです。藤Pにひそかな恋心を寄せているからこそ、なぎさは「おてんば娘」である。もし彼女が男の子への興味を失ってしまえば、なぎさはもっと女の子らしい存在となるだろうと思います。同じように、なぎさへの恋愛的感情に気がついてしまえば、ほのかはもっとおしとやかになってしまうだろうと思います。ほのかは知的な現代版大和撫子だからこそ、清楚なお嬢様でいられるのです。勉強や周囲の人々への責任感が常になぎさの中で優先してるからこそ、なぎさは友人やクラスメイトに取り囲まれていながらも恋愛とは無縁の人であるのです。もしなぎさの中で優先順位が入れ替われば、彼女の性格も変わらざるを得ない。同じことがほのかにも言える。もしほのかが故意にあこがれる活動的なおてんばとして描かれたり、なぎさが聡明な平均的女性として描かれてしまえば、男性と女性との関係に読み替え可能であるというこの物語の虚構が破綻してしまう。

らんまとあかねは決してくっつくことはない。犬夜叉とかごめ、あたるとラム、スパイクとフェイ、ベルダンディーと螢一、リナとガウリイもそうなることはない。彼らの関係は物語が寄って立つ基本的な土台である。この「くっつくか、くっつかないか」というどっちつかずの緊張感は、らんま、犬夜叉うる星やつらカウボーイビバップああっ女神さまっスレイヤーズのような番組にとって特徴あるウリのひとつだ。主役格同士の恋愛可能性は、上記のような番組にとって必ずしも強調される必要はない(プリキュアのように)けれど、これらの番組すべてにおいて、この恋愛可能性は物語の基調をなしている。彼らの状況が変わったとたん、物語の主題も変わる。ずっと引き伸ばしてきた問題に決着がついてしまえば、番組の大切なウリがなくなってしまう。なぎさとほのかが恋人になることは、これからのプリキュア展開にとって有意義ではないだろうし、革命的なことでもないだろうと思う。二人が恋人になる可能性がないではないが、おそらくそれはないだろうと私は思う。その理由は簡単で、昔からの原則が守られるだろう。もし壊れていないのならば、わざわざ直すことはないということだ。

と言っても、明らかにレズビアンである主人公たちが出てくる魔法少女アニメを私が望んでいない、と言うわけではない。「ヤミの帽子と本の旅人」「神無月の巫女」「バトルアスリーテス 大運動会」「神秘の世界エルハザード」などにはレズビアンであるキャラクターが存在する。「奈美SOS!」「ファミレス戦士プリン」「ランジェリー戦士パピヨンローゼ」などのアダルトアニメは、超エロエロの魔法少女をキャラクターにしている。主人公たちがレズビアンという魔法少女アニメはまだ登場していないけれど、アニメ業界ではレズ物の企画を準備しつつあるのではないかと考えている。日本の少女たちに向けた魔法少女アニメとして作られたセーラームーンは、準主役たちのレズビアン関係を提示した。プリキュアは同じ分野で、主役ふたりが互いに恋愛感情を抱くという関係を描いた。仮にアニメの進化が、端役の魔法少女たちがレズビアンであるという地点から主役たちによるレスビアン的関係の示唆へと進んでいるのならば、次に出てくるのは主役である変身する魔法少女たちがレズビアンであり、それが物語の中核的要素に据えられる番組ということになる。「ふたりはプリキュア」は異性愛関係と同性愛関係のどちらについても積極的に描いたとは思わない。しかし「ふたりはプリキュア」は、魔法少女アニメというジャンルにおける革命へ向かう道に置かれた、重要な一里塚であると思う。