ジャアクキング様はどう復活するのか(3)

ジャアクキング様の復活を考えていると、どうしてもひかり=ルミナスのことを考えることとなり、話が入り組んでます。ということで続きです。

九条ひかりの成長とクイーン

九条ひかりの成長を振り返ってみると、どうも九条ひかりがそのままクイーンになるとは思えない。九条ひかり虹の園に生きる普通の中学一年生にふさわしい心を身につける(もしくは見つける)という課題をこなしている。人間としていろいろな心を身につけつつあるわけだが、このままの方向で成長を続けた場合その先に「すべてを生み出す光の力そのものであり、光の園を統治する偉大なクイーン」が見えてくるかというと、そうではないと思う。人間がいくらがんばったところで神になれるわけではないし、神になろうとすることが正しいこととも限らない。

神を拒否する「ふたりはプリキュア

少なくとも「ふたりはプリキュア」において、なぎさとほのかはずっと「人としての心」を何よりも大切にするという態度であり、それが彼女たちのパワーとなって闇の力およびジャアクキング様に打ち勝ってきた。
無印で培ってきたなぎさとほのかの絆、戦闘のたび闇の側にブラックおよびホワイトが叩きつけてきた言葉の内容、無印戦闘で最大の力が、大好きなプリキュアのためにとポルンが見せた力だったということ。それはなぎさほのかにとってもっとも大切にすべきものが、彼女たち自身、家族、プリキュアチーム、クラスメイト、学園の友人たち、これまで出会ってきた人々、そしてそれらを通して感じることができる虹の園に生きるすべての人々とのつながりであるということだ。
ブラックとホワイトは二度の決戦でジャアクキング様から光の力を守り通したヒーローである。しかしその働きは日常世界から完全に隔離されている。なぎさとほのかがブラックとホワイトであることは、虹の園では誰も知らない。ブラックとホワイトはドツクゾーンを統治する闇の神ジャアクキング様に対抗できると言う意味では、光の神の化身である。しかしMH第16話にて再び強調されたように、なぎさとほのかはタダの人である。虹の園で人々に囲まれて生活するなぎさとほのかは、今後も人目に触れぬままブラックとホワイトとして世界を守ることになるものと思われる。なぎさとほのかが日常生活で無欠のスーパースターであってはならないということだ。
なぎさとほのかが日常生活で無欠のスーパースターであってはならないのは、彼女たちを教え導く神にさせないという製作者たちの意図であると思われる。なぎさとほのかが虹の園の中でもっとも強く、もっとも正しき絶対存在となってしまえば、なぎさとほのかは蒙昧な大衆が尊敬しひれ伏す良きエリートとなる。日常は彼女らが大衆を教え導く賢人政治の世界となる。賢人政治と言えば聞こえがよい。しかし賢人政治とはたまたま大衆に受け入れられた独裁政治であり、人気がなくなれば独裁と呼ばれるだけのことだ。
ということで九条ひかりはこれからも普通の中学一年生として成長してゆくだろうし、成長したらまっとうな人間になるだけであって決して昔のクイーンのような超越者になるわけではない。だいたいクイーンの心は最初から九条ひかりとしてのひかりの心に語りかけているわけだ。

洋館の少年の成長

洋館の少年もひかり=ルミナスと状況は同じで、これまで洋館の少年は人間として成長している。洋館にやってきたときは無表情で子供丸出しの容貌とそれに似合わぬスーツ姿というちぐはぐさをまとって登場した。
話が進むにつれ、洋館の少年は笑いながら走り回り、逆上がりを覚え、ブランコで遊び、ラジコンを操作し、野球遊びを覚え、積み木を考えながら作品を作り、最近ではとうとう連凧を揚げている。ひかり=ルミナスが突然市井の荒波の中に放り込まれて苦労しながらぐんぐん中学生以上の心を身に付けているのに比べると、何ひとつ対立する存在のいない隔離環境で生活している洋館の少年が成長していないように見えるのも、それは当然のことだろう。
とはいえ洋館の少年がこのまま成長してあのジャアクキング様になるかというとやはりそうではないように思える。人間がいくらがんばったところでジャアクキング様になれるわけではないし、ジャアクキング様になろうとすることが正しいこととも限らない(いやこれは正しくないな)。

ルミナスの「気」とひかりの「心」

九条ひかりがクイーンの命であり、洋館の少年とつながっている。洋館の少年が飛躍的に成長するためには、九条ひかりの中の気が徐々に充実していることは都合がよい。闇の戦士たちにとって洋館の少年が成長することが必要なのは、洋館の少年がジャアクキング様の復活にとって必要だからだと考えられる。洋館の少年とひかり=ルミナスはつながっているので、洋館の少年が成長するとジャアクキング様復活につながるのであれば、ひかり=ルミナスが成長するとクイーンの復活につながると言うことだ。
ここでバルデスの言葉に注目すると、バルデスは「シャイニールミナスの気が充実しているのは都合がよい」と言っている。シャイニールミナスの成長が進んでいるのは都合がよい」とは言っていない。ということは、クイーンの復活に必要なのはあくまでもひかり=ルミナスの「気の充実」であって「ひかり=ルミナスとしての心の成長」ではない可能性が高いということだ。

副産物としての九条ひかり

でも九条ひかり虹の園に生きる中学生として、人として成長を続けているし、ひかり=ルミナスが九条ひかりとしての心を身につけてゆかなければ、クイーンの意志であるハーティエルがひかり=ルミナスの元に集まらないわけで、チェアレクトにも収まらないということになる。そうなるとクイーンは復活しないということになる。ということは、クイーンの復活に際して本当に必要な条件はひかり=ルミナスの中に充実するであろう「気」だけであるが、その「気」を充実させるためにはひかり=ルミナスが九条ひかりとしての心を身に付けなければならない、ということなのではないか。この図式が意味するところは、ひかり=ルミナスの中で育ちつづけている九条ひかりとしての心はクイーン復活にとって不要な副産物であり、クイーンが復活した後にも残ってしまうだろうということだ。また、虹の園の中学生としての身体が、あのクイーンの姿にまで巨大化するのはまあアリとしても、クイーンは基本的に年はとらないだろうし、生身というのはちょっとどうかと思うので、クイーン復活後には九条ひかりの身体もそのまま残るのではないか。つまり、充実を続けるクイーンの命としての「気」だけがひかり=ルミナスから抜け出す形でクイーン再生が行われ、九条ひかりとしての心と身体はそのまま残る。それは九条ひかりが「クイーンの命」としての役目を全うし、100%虹の園に生きて死んでゆく普通の人間に生まれ変わるということになる。
(明日の日記にもうちょっと続く)