1 トレンディドラマとしての無印プリキュア

無印からなぎさとほのかは成長していないのではないかということを論じてみる。下記のように、彼女たちは個人的にはほとんど変わっていないように思える。彼女たちは彼女たち個人が変わるのではなく、二人の関係をどんどんと密にしていっただけである。成長する代わりに、対関係を強化することで正義の力を身につけていったのだ。対関係の強さが全てであるというのは「愛こそが全て」という80年代トレンディドラマのテーマである(あのころはプラザ合意後の円高不況を乗り切って始まるバブル経済ど真ん中で職にもカネにも困らず、国際情勢もベルリンの壁崩壊とソビエト解体が迫っており資本主義世界の勝利がほぼ確定事項となってきていたが世界政治の枠組みは今から思えばまだまだ強固で平和な時代だった。そんなわけであとはイイモノ食って海外に出かけて恋愛することに集中できる時期だった)。「ふたりはプリキュア」の主題が「手をつなげばつなぐほど強くなる、自分達であればあるほど強くなる」というものであるのは、成長する=大人になるということが「よいこと」ではなくなった世代だからである。最初に結論を書いてしまうと、そういうことが言いたい。

なぎさとほのか、日常での不変性

さてその論考。id:dokoiko:20050520の「話法の変化」あたりに書いたのだけれど、

これまで一時的にほのかが不安を吐露したり(無印第28話)怒りを爆発させる(無印第18話)場面などに話法変化を見ることができる。しかしこれまでの話法変化は使い手の一時的な気分の変化を意味するサインだった。だから長期的に見れば、なぎさもほのかも初登場からずっと強固に自分の話法を守りつづけている

のだった。なぎさは登場時からラクロス部のエースかつムードメーカーであり、飛びぬけた存在だった。学園内でもクラス、学年を問わず美墨なぎさと言えば明るく元気な皆のヒーローだった。ほのかも科学部のリーダーであり、学年トップの優等生であり、うんちく女王と呼ばれるほど他者に怖気づくことなくコミュニケーションをとっていたものと思われる。
これは今も変わらない。ベローネ学園に通う中学生としてのなぎさとほのかは、プリキュアになる前から十分学園のヒーローだった。一年を通して科学発表会があったりラクロスのリーグ戦があったり学園祭があったり合唱があったりして、なぎさとほのかはそれぞれどれも中心人物として活躍した。でもそれはプリキュアになって頑張っていたからではない。無印開始直後第2話でほのかはクラス委員に選ばれているし、なぎさも無印第3話では、よし美先生ご指名で社会見学委員に選ばれた。もともと彼女たちは学園のヒーローだった。それから一年以上が経ってもなお、なぎさが殊勝に勉強をするようになったわけでもなく、ほのかがうんちく女王を返上して世俗に降りてきたわけでもない。一年を過ぎてもなぎさは確乎として美墨なぎさでありつづけているし、ほのかは厳然として雪城ほのかでありつづけている。

ブラックとホワイトとしての不変性

さて視点を変えて、プリキュアとしてはどうだろう。確かに強くなったと言えば強くなったが、成長しているかと言うとそれも違うのではないかと思う。ほのか=キュアホワイトは無印第5話のピーサード終戦からすでに無印最終話につながる「正義の理由」を知っている。なぎさ=キュアブラックは無印第42話でも結局なぎさがつかみ直したのは「ほのかの危機を救うのは私以外に誰がいる」という気持ちであり、気持ちが火事場の馬鹿力を呼ぶというキュアブラックの定番パターンを確認したのだった。ということで、プリキュアとして戦いつづけた一年を振り返ると、結局プリキュアとしても「自分が変わる」という意味での成長をしたと結論することは出来ない。

日常と非日常の乖離

さらに、プリキュアとしての経験がなぎさほのかの中学生活に何かをもたらしたかを考える。しかしだいたい、プリキュアとして二度も世界を救ったことはプリキュアチーム以外は誰も知らない。だから学園の人々や家族が(さなえおばあちゃまは除外)なぎさとほのかをプリキュアだからといって特別な目で見るわけではない。またなぎさほのかにとってもプリキュアであることは秘密である。だからプリキュアだからという何かを日常に持ち込むわけにもいかない。ということで、ぷりきゅあだから何か日常が変わったかと言うとそうでもない。
今回MH第16話では、MH第15話で完璧なヒーローになった二人をわざわざ元の「普通の女の子」に戻している。なぎさを勉強嫌いのちょっと抜けた女の子に戻し、ほのかは正しいものの優しさにちょっと欠けるうんちく女王に戻した。
まだある。なぎさは一年経っても相変わらず藤Pのことになると頭が真っ白になってわけがわからなくなる(MHの第14話、第16話)。ほのかは正しくないことを見ると常軌を逸してしまうし、自分が怒ったことで下級生が科学部をやめたいと言い出すとどうしていいのか分からなくなる(MH第9話)。

成長しないなぎさとほのか

以上、日常を生きるなぎさとほのかとしてふたりはずっと変わらずなぎさとほのかでありつづけている。非日常を戦うブラックとホワイトとしても。そして非日常と日常は交わることなく乖離している。
なぎさとほのかについてただひとつ継続的に変化しているのは、ふたりの絆の深さである。彼女たちは出会い、お互いを知り、共通の目的のために非日常を戦い、特に共通の目的が無い日常でもいっしょに行動してきた。絆が深くなると巨大な敵にも立ち向かうことができるというのは、愛の深さが何より大切だということだ。
無印が対関係至上主義ともいうような、成長しないふたりが対関係を深めてゆく物語として構成されたのは「あなたはあなたらしく、自分らしく」とかオンリーワンとかいう考え方が一般的になっている現在をよく取り入れていると思う。なぎさとほのかは成長したわけではない。ついさっき書いたことだが日常ではなぎさがこつこつと学習して勉強が出来るようになったわけではないし、泥まみれになるまでラクロスの特訓をして必殺技を編み出したわけでもない。ほのかはもともとそれ以上向上することが無いぐらいだった。プリキュアとしても特訓をしたわけではないし、そもそも成長と言う点では彼女たちが師事するべき師匠やアドバイザーがいない。