うどん9杯の後に(中篇)

潮の香り、つゆの香り

高松は青い。空が青く、空気そのものが青く、建物が青かった。高松駅は干草を掻くフォークのような形をしていて、僕はフォークの接合部にあたる改札を通る。そのままほんの少し歩いて正門をくぐる。高松の空気は青く、青色の潮の香りに包まれていた。
何か近代的な駅前だった。駅前と言っても、駅の前は港だった。左手に高松シンボルタワー高松港ターミナルビルと全日空ホテルとが、切り出したばかりの巨大な石柱のように輝きを放って突き立っている。右手を伸ばした先には高松城址の黒々とした松林が並んでいる。そして右を向くと大小さまざまな豆腐を並べたオブジェのようなビルがずらりと立っている。
近代的な左手の手前には文鎮のような平屋の駅前観光案内所があった。観光案内所に入るとカウンターに座ってたのは親切な中年の女性… ではなく、二人の若い女性たちだった。女性たちはふたりともストレートのつややかな黒髪が肩の向こうまで延びていた。僕は図書館の場所を聞いたわけでもないし、女性たちは親切に場所を教えてくれたわけでもない。僕は高松市内の観光マップがあるかどうかを尋ね、右側の女性が僕の目の前につんであるパンフレットを広げてこれが観光マップと説明してくれた。
そしてこっちがもうちょっと範囲の広い観光案内です、と右側の女性は続けた。携帯電話屋の油断もスキも無い茶色い髪の販売員とは違って、高松駅の前にある観光案内所の女性たちは音ひとつたてることなく緩やかに動いていた。僕は観光マップと観光案内を一部ずつ分けてもらい、高松城址の脇を抜けて四電のマークが掲げられた真っ白なビルを通り過ぎ灰色の高松高等裁判所前の信号で止まった。信号が変わるとまた歩いてアーケード街を左に曲がった。そしてうどんつゆの香りがするとあたりを見回し、暖簾にうどんの文字が書いてある入り口を見つけるたびに方向を変えてうどん屋に入った。

うどんを求めて

三越周辺のアーケード街で3件のうどん屋に入る。インターネットには「高松のうどん屋はセルフが基本」と書いてあったのだが、本当にセルフが基本だった。暖簾をくぐるとお盆が山と積まれている。お盆をひとつとると、目の前のカウンターにお品書きがかかっていて、お品書きの下にはお店の人が立っている。
僕はとにかくたくさんの店に入ってうどんとダシの味を比べようと決めていたので、注文はかけうどんの小を頼む。薬味を盛ってくれる店と自分で盛る店がある。うどんを取って奥へ進むと今度はてんぷらが並んでいる。てんぷらを過ぎるとおいなりさんや押し寿司やおにぎりがラップに包まれた皿の上に乗っている。そこで適当に皿を選ぶと突き当りにはレジのおばちゃんが待ち構えていて、お金を払うと席について食べる。
お茶と冷水はセルフサービスでとってきて、食べ終わると返却カウンターに全部返しておしまい。返却はそのままお盆をおいておくところもあれば、割り箸ボックスとつゆ流しとどんぶり洗い場へそれぞれ自分で分け入れる店がある。
うどん屋を出るたびに、全てのうどん屋の正面を写真に収めた。僕が使っているSANYOのXacti DSC-J4は写真ごとにボイスメモを追加できるので、うどんとお店についての感想をその場で吹き込みながらうどんを食べて回った。
普通そういうことをしているならば、立ち寄った店を順番に紹介していくものだろう。でも僕はそうしない。というよりも、そうすることはできないのだ。なぜならば、最後に訪れた8件目の店以外のうどんはぶっちゃけ麺に腰が無く(とはいえ腰の無さ度についてはそれぞれだった)、つゆの味も(えみさんや多くの讃岐うどん愛好者の人たちには申し訳ないけれど)イマイチだったりイマニだったりイマサンだったりしたからだ(しかしこれについては最後のうどん屋のご主人と交わした会話で決着がつくことになる。結局のところ、僕が食べたうどんがそういうものだったのは僕のせいだったのだ)。
僕は讃岐うどんの本場である高松の本場の讃岐うどんに裏切られた思いをだんだんと積もらせながら、高松を南へと下っていった。高松市役所のあたりでうどん屋に入り、天満屋近くのアーケード街でうどん屋に入り、さらにそこからアーケード街を南へ進みながらうどん屋に入った。高松のアーケード街はさらに南へと続いていて、このまま高知県まで続くんじゃないかと思うほどだった。実際はもちろんそういうことはないだろう。前日までの二日間で30kmほどを歩いていて、僕の左足はひざ裏のすぐ下が真横に線を引いたように痛みが走っていて、僕の右足はふくらはぎの外側全体が軽い肉離れを感じさせるような切り裂く痛みが走っていた。だからアーケード街がそれほど長く感じたのだろう。

限界

高松駅を下りてから3時間が経っていた。最初のうどん屋で最初の讃岐うどんを食べてからだと2時間ちょっとになる。それまではうどん専門店を選んで入っていた。うどん以外のものを置いている店はうどん屋とみなさずスルーしていたし、チェーン店のような概観の店も入らなかった。しかし専門店らしきうどん屋を5件まわった結果として讃岐うどんがことごとくそういううどんだったので、6件目はチェーン店のうどん専門店に入った。多くの人に利用される(はずの)チェーン店のうどんを食べてみて、高松の人がチェーン店のうどんとして食べているうどんを「讃岐うどんベンチマーク」にしようと思ったからだ。チェーン店のうどんがいままでのうどん以下ならば、やはり専門店のうどんは専門店のうどんであり、しかしそれなりのものだということになる。そうではなくそれなりにおいしいうどんならば、うどん専門店とは一体何なんだろうということになる。
6杯目のかけうどん小を頼み、午後のけだるい店内に腰掛けてうどんを食べる。麺はこれまでのどの店よりも太かった。しかしどの店よりもまだ腰があった。ダシもまあ劣るわけではなかった。総合的に言うならば、今までの中でもっともうどんらしいうどんだった。ではいままでのうどんはうどんではなかったのかといえば、やっぱりうどんなのだけれどなんだか小麦粉の団子を食べているような感じだった。
6杯目のかけうどん小を食べ終わる。動けない。どう考えても動けない。仕方ないので化粧室に入り、無理やり胃の中の内容物を吐き出す。たぶん3杯分ぐらいのものが出たように思う。かなりすっきりした。もともとべつに体調が悪いわけでもなく、悪い物を食べたわけでもない。ただ入りきらないだけなので、出しさえすれば元に戻る。お盆を返してチェーン店を出る。

背水

チェーン店の正面を写真に収める。コメントを写真に吹き込みながら思う。讃岐うどんよ。そんなものなのか。おまえの実力はこんなものなのか。いや違うだろう。違うんだろう? もっとガツンと来るんだろ? おまえの名声は伊達じゃないんだろ? 来いよ、ガツンと来いよ。
一息つくことも無く歩き、7件目の店に入って7杯目のかけうどん小を頼む。カウンターに並ぶキス天えびかきあげイモ天バラ寿司いなり寿司おにぎりには手をのばさず、素のかけうどんのまま代金を払い椅子に座る。一本目のうどんを祈りとともにかみ締める。しかしガツンと来ない。ずるずると惰性のようにうどんをすすりながら、僕はこれではダメだと思った。飛び込みで見つけた店に入っていては、いつまでたっても同じことを繰り返すだけだ。もうそろそろ高松を出る時間も近づきつつある。最後の讃岐うどんは、情報を集めて一点勝負にかけなければいけない。
僕は割り箸とつゆとどんぶりを分けて返却し、うどん屋の正面を写真に収めてコメントをつけてから天満屋に向かった。高松の景色を眺めながらのんびりとしたエスカレーターを8階までのぼり、宮脇書店とロフトの間にある長いすに腰掛けてThinkPad X31を取り出す。AiredgePhoneをUSBケーブルでTPに接続し、一番近い松山のアクセスポイントに接続してネットへと出る。そして天満屋付近の地名をYahooMapで確認し、条件を絞って近くのうどん屋がレビューされているサイトを検索する。
どうやらこの付近では「讃岐屋」といううどん屋がもっとも評判が良いようだということが分かった。白いお皿に盛られたなめこおろしうどんが人気メニューで、ご主人が交通事故で長期休業をしているというようなお店らしい。なんだかよく分からないけれど、足は痛いし時間は迫っているし6杯目でリセットしているし、もうここは讃岐屋に賭けるしかないという状況だった。ただし夜の部は17時30分からということで、あと1時間以上時間がある。17時30分に店に入ってうどんを食べて高松駅から帰るとなると、帰宅は12時を越えるかもしれない。しかしここで帰るのもアレだ。
YahooMapで近隣の書店を探す。映画版プリキュアのコミックを買うためだ。ただことごとく宮脇書店なのにはおどろいた。ユダヤの人々が金融業を生命線としたように宮脇の血筋がことごとく本屋で、ということではないのだろう。結局宮脇書店めぐりとなって、4件目の宮脇書店となった本店の新館3階においてあった。ついでに裏に置いてあった大長編ドラえもんVol.15「のび太の創世日記」を買う。宮脇書店本店新館のまんが売り場には同人誌コーナーがあった。会計をすると書店のお姉さんが
ドラえもん35周年ですのでお買い上げの方には記念ビニール袋…」お、そんなものもらえるのかと思った。
「にお入れします」おいおい、そういうプレゼントを使っちゃダメだろ、そこはお付けしますだろ…
そうこうしているうちに時間は17時を回る。てくてく歩いて讃岐屋の前にたどり着く。当然まだ準備中の札が下がっており、扉もまだ開いていない。ぐるぐる歩いて17時20分にまた讃岐屋前に帰ってくる。札は準備中のままだったが、扉が開いていてカウンターが見えた。奥では水蒸気がもくもくと湧き上がっている。さらにてくてく歩いて30分にまたもや讃岐屋前に戻る。さっきはカウンターに裏返っていた椅子がちゃんとあるべき場所に収まっている。しかしまだ札は準備中のままだった。結構ネット上ではヒットしたのだが、誰も並んでいない。さすがに月曜日の17時30分には行列は無いか。しかし讃岐屋は日曜定休らしい。もう一度そのへんをぶらぶらして時間を潰す。14時過ぎから街に湧いて出てきていた中学生や高校生たちは、数は減ったもののまだまだたくさん歩いたり自転車に乗ったりして僕の横をすり抜けてゆく。高松の女の子たちは足が細く、色が黒い。男どもについては日ごろから観察していないのでどれも僕の町のと同じに見える。
しばらく女の子観察をしていると17時40分を過ぎてしまった。何度目かの讃岐屋前にたどり着くと札は営業中になっていた。暖簾をくぐって店に入る。讃岐屋の主人以外に人はいない。讃岐屋の店内は横L字型になっていて、座席は全部で8つほどしかない。いかにもうどん屋という黒塗りの質素な木造の建物だ。
「いらっしゃい」主人が僕に声をかける。しかしそれ以上はしゃべらない。黙々とカウンターの向こうで何かを切っている。僕はL字カウンターのLの角に置いてある椅子に腰掛けた。レジがすぐ横にあった。