うどん9杯の後に(後編)

「帰還」の章を改稿。最終段落の二文目まで書いて、ほんとは次の一文が締めになるはずだ、と思う。いまでもそう思うのだけれどでもどうしても締めることができず、ずるずると延長。くやしい。

一点勝負丁半博打

8点目のうどん屋として17時45分に暖簾をくぐった讃岐屋の店内はいままででいちばん静かだった。店構えがもともとアーケード街からわき道を50mぐらいそれたスナックやバーが建ち並ぶ場所だということと、ラジオもテレビも置いていない。いまのところ僕しか客はいないが10人も入れないカウンターだけの店内では、うどんをゆでるための大きな釜から湯気が絶え間なく上がっている。まるで閉店前の銭湯のような暖かく重たい静かな空気であふれていた。僕は社会人になって三年間、風呂の無い2Kの築35年木造あばら家に住んでいた。仕事が終わる(いや仕事は終らないが、会社を出ることができるぐらいまで一日の仕事が片付く)のは22時30分あたりが日常だったから、閉店前の銭湯についてはプロのようなものだ。
閉店前の銭湯はそれとして、讃岐屋の主人がもくもくときっていたのはおでんダネだった。厚揚げを三角に切り、はんぺんを半分に切り、こんにゃくを四角く切ってから半分に切り、そのたびに僕の後ろにすえつけてあるおでんなべとまな板を往復してはタネを入れる。讃岐屋の主人は逸見政孝をベースに、40歳ごろのしわの無い森本レオを10倍に薄めて半分だけ取り込んでウド鈴木のダシをほんの少しだけ加えてぎゅっと一絞りしたような容貌だった。要するに(要することになるのかはよく分からないが)讃岐屋の店内の雰囲気をそのまま人型にしたような、清潔で整頓され落ち着いた優しそうな人物のように感じられた。
なめこおろしうどんお願いします」僕は言った。
「どっちにしましょ」主人はタネを積んである後ろの棚へ手をのばしながら言った。もちろん温にするか冷にするかということだ。ネットによれば讃岐屋は「どちらかというとうどん巡礼の県外者が多い」店だと言うことだから、主人もそれだけ言えば分かるお客を毎日さばいているのだろう。
「今日みたいな日にはどちらが合いますか」
「えっ」主人は半分息を飲んだような声を出してこちらを向いた。
「ええと、高松には今日始めて来たんです。うどんがおいしいとかおいしくないということもよく分からないぐらいなので、今日のような日だったらどちらがよいかと思いまして」
「うーん、難しいなあ」主人はほんとうに難しそうな声を出した。「こればっかりはお客さんの好みになるので、わたしがどちらがいいとはなかなか言えないんですよ」
「なるほど。それはそうですね」
「温かいつゆをかけても、そんなに麺の腰がなくなることもありませんからね。もうどちらでも、お客さんの好みです」
「そういうものなんですか」
「はい」
「それでは、最近よく出るのはどちらですか」
「うーん、どうかなあ」主人はちゃんと考えてくれているようだった。「そうですねえ。私の個人的な好みで言えば、大根おろしを乗せているからどちらかというと冷たいつゆで食べたほうがいいような気もしたりしますけれどねえ」
「なるほど。つめたいのお願いします」
「はい」主人は(とうぜんだが)なれた手つきでうどん玉を釜に入れ、何度か定期的にゆすりながら白い皿を後ろから取り出す。湯きりをしたうどん玉を白い皿にもりつけ、つゆをそそぐと大根おろしなめことかいわれを盛り付けた。
「おまちどうさま」と僕の前になめこおろしうどんを置く。シチュー皿のような白い器にうどんが乗っていて、その上に大根おろしなめこがトッピングされていて、さらにかいわれがほぼ全面を覆っている。一点勝負の丁半博打。最後の讃岐うどんは白いシチュー皿に乗った冷たいうどん。8件目8杯目のうどんはかけうどん小ではなかった。
僕は心を波経たせないようにしてなめこ大根おろしとかいわれを多少混ぜ合わせ、うどんといっしょに箸にとった。

真実の讃岐うどん

うどんは弾力があった。少し噛んでも切れなかった。結構噛むとようやくうどんの歯に捕まっているところが歯茎のあたりへと移動を始め、それでもうどんの分子は切断されること無く歯の表側と裏側に回りこむ。それどころか上下の歯がかみ合ってもまだうどんはかろうじて歯の接触点において錐の穴ぐらいの切断が起きているだけだった。軽くつきあげたつきたての餅を食べているようだった。少ないけれど濃い目のつゆはなめこのぬめりと合わさって口の中に留まり続け、そして大根おろしのさっぱりとした辛味を含んだ水分がつゆのしょうゆ辛さを時間とともに洗い流してゆく。そのまま咀嚼を続けると最後にかいわれの刺激が舌の味覚をリセットして、次のうどんを新たに迎え入れる体制を整える。
「これが、讃岐か…」若造に殴り倒されながらつぶやくのがふさわしいような言葉を心の中に書き留めつつ、つぎの一口に取り掛かる。
ガツンと来たわけだ。
僕はなめこおろしうどんをゆっくりと味わいながら食べる。そして疑問に思う。これが讃岐うどんの実力だとしたら、これまで吐いても食べてきたうどんはいったい何だったんだ。もくもくといろいろな仕事をこなしている讃岐屋の主人に、どうしてもたずねておかなければならないような気がした。
「すみません。ひとつ質問したいことがあります」
「なんでしょう」
「今日はここに来るまで、7件のうどん屋に入ったんです」
「あはは。そりゃまた。うどんがこの辺までたまってるんじゃないですか」主人はのどに手を当ててそう言った。
「いえいえ大丈夫です。それで、どのうどんもみんな腰が無いと言うか、僕はうどんについて詳しいわけではないので素人として感じたということなのですが、なにか小麦粉をそのままゆでたような麺ばかりだったのです。なぜでしょう」
「それはですね。うどんの難しさなんですよ」讃岐屋の主人は即座にそう言った。「うどんはゆであがるまでが長いんです。ラーメンやスパゲティはそれなりに早くあがりますから、お客さんの注文を聞いてからゆでることができます」
「ほう」
「うどんは一度ゆで始めると20分はかかりますし、高松ではセルフが中心ですから、あらかじめゆでておくんですよ。だからゆであがったときはいいのですが、だんだん時間が経つにつれてぼそぼそになってしまうんですよ」
「そうか。僕が高松についたのが1時ごろだったんですよ」
「お昼時のピークにあわせてうどんをゆでるんですよ。このへんのうどん屋は2時ごろにいったんお店を閉めるところが多いでしょ。1時過ぎにはもうあまりうどんをゆでないんですよ。1時過ぎなら、ピークにゆでたものを出しているところが結構あります」
「うーん。ということは、僕が来た時間が間違っていたということですね。ほんとうにおいしいうどんを食べようと思ったら、ゆであがったときにあわせて」
「そうです。だいたい12時過ぎだとちょうどいいはずです」
「なるほどー」そのころにはガツンと来たなめこおろしうどんを全部食べきっていた。「かけうどんください」
「はい」
温かいうどんはやや腰が軽くなっていたけれど、9杯目のうどんはこれまでのかけうどんとは比べ物にならないほどうどんだった。

帰還

そのあとにも親切で律儀な讃岐屋の主人へいくつか質問をして、讃岐うどんに関する秘訣のようなものを教えてもらった。そして18時30分過ぎに讃岐屋を出て、暗くなり始めた高松市街を北へ向かって高松駅に入った。出発よりずいぶん早く岡山行きの列車が5番ホームに着いていたので乗り込む。ずいぶん多くの人が乗っていて驚いたけれど、坂出でほとんどの人々が下りていった。鉄橋を渡るころには行きの列車と同じような静けさが戻っていた。外は全くの闇に包まれていた。
音に包まれながら四国へと向かった列車は、四国から戻るときにはとても静かに鉄橋をすり抜けて進んでいく。わずかに残った人々は、それが規則であるかのように鉄橋の上では眠りについていた。僕もそれが宿命であるかのように鉄橋に入ってすぐから眠りに入り、岡山にたどり着いたときにはそこが岡山であることが不思議なぐらいに深い眠りに落ちていた。
新幹線までやや時間があったので、岡山駅の表まで出て桃太郎像を眺める。昨日はあそこの下に集合して、晴天の道を大勢で歩いて映画を見てカラオケ屋で絵を描いたりしたのだった。つい1時間前まで歩き回っていた高松については良く思い出せなかった。でも岡山での出来事はすんなりと思い出すことができた。えみさん、ひりゅさん、湯川Mさん、konoさん、よしみさん、優華麗さん、やすぴ〜さん、櫻ユウさん、ひでさん、観波リコさん、そして僕は覚えている。昨日この駅前に吹いていたさわやかな風と青い空を。僕たちが桃太郎の背中で円を作って自己紹介しあったことを。ミスドでひりゅさんが熱い紅茶と格闘したことを。岡山の映画館がガラ空きだったことを。えみパパも一緒に歩いてカラオケ屋までのんびりと歩いたことを。それは事実だ。でもそれは一晩経てばもうここにはない。いまこの岡山駅前にいる誰もそれが起こったことを知らない。
深夜の桃太郎像を眺めながら、僕はそれを不思議なことだと思う。ほんとうにそれは起こった。でもそれはもう僕たちの記憶の中にしか残っていない。岡山駅をこれから通り過ぎる何万人もの人々は、それが起こったことを知らない。誰も。僕たちは昨日ここで生きていた。彼らはその事実も知らない。僕たちがいろいろなところから岡山に集まり、プリキュアのために一日を無駄にしたことは誰も知らない。でもそれは生きていることそのものについても同じことだ。いま僕がこうして生きていることを、僕が住む街のほぼすべての人々は知らない。そして僕が死んでしまえば、僕が生きていたという事実は何も残らないだろう。
僕は高松から帰ってきた。そしてここ岡山からいつもの街へも帰るだろう。僕のことを誰も知らないいつもの街へ。寂しいというわけではない。昨日のことなど何も知らない桃太郎と犬猿雉が今日もこうして立っている岡山駅前にて僕は思う。帰ると言って僕は一体どこへ帰るというのだろう。