2-1 継母継子の邂逅

あかねさんというのは結構役回りがさなえおばあちゃんと重なっていて、子供(あかねさんの場合一年目はなぎさほのか、マックスハート九条ひかり)を影ながらしっかりと見守る「正しい大人」である。正しいというのは、別に正義を持っているとか人格的に完成されているということではない。まあさなえおばあちゃんについては賢者っぽいが、さなえおばあちゃんはあくまでもおばあちゃんなので悪に立ち向かう体力が無いという意味で万能の人ではない。あかねさんについても完璧ではなく、おっちょこちょいっぽいのが一年目の描写だったし、マックスハートというか今回の一件では悩みを持つひとりの人間として描写されていた。
「正しい大人」というのは、子供たちの目から見て「自分たちとは違う世界に住んでいるなあ。大人だなあ」と思わせるようなある種の近寄りがたさを感じさせるということだ。そういう意味においてたとえばなぎさの父母である岳さんと理恵さんは正しい大人ではない。ベローネ学園の校長先生、教頭先生、よし美先生は正しい大人ではない。あかねさんが無印に比べ、マックスハートではかなり正しい大人へと態度を変えているのだが、これは九条ひかりに親のロールを見せて成長させるためだろう。というところでそろそろ本題。
九条ひかりは新たに虹の園に生まれてきた子供であり、継子としてあかねさんに迎えられている。ひかりは継子としての気遣いを身に付けている。ただしポルンとの関係において、ひかりは母親の役割を担っている。何も知らないひかりが突然ポルンの母親として成立するのも不思議な話であり、だからこそ今回のMH第8話が必要である。そう。無印でなぎさとほのかが第8話を必要としたように。
ポルンは本当に子供として描かれており、一見満たされていたように描かれていたのだが実は怒ってほしかったということだったのだ。これは無印第8話にいたる過程が、なぎさの疑念とほのかのおせっかいによって運んだのとは大きく異なっている。無印第8話は「離れたいのに近づいている」ことが問題だった。しかしMH第8話は、ポルンの願いとひかりの不作為であり、「近づきたいのに離れている」ことが問題となった。MH第8話はもちろん無印第8話の変奏なのだが、問題拡大のベクトルを逆転させた構成としているあたり、東映アニメーションは伊達ではないという感じがする。「近づきたいのに離れている」というのはひかり−あかねさんについても同じだ。
で、ひかり−ポルン問題とあかねさん−ひかり問題は、解決の道筋も同じだった。子供たちの素直さが大人たちの心を開くという展開だった。母親としてのひかりについては、ポルンが(おそらく無意識のうちに起こられるような方法をとりつつ)ひかりにチョコパフェを作ったことがきっかけでひかりがポルンの心を知ることになった。子供としてのひかりについては、お客のおばあさんに感謝されるひかりを見てあかねさんは自分の選ぶべき道を確信することになった。
子供は最終的に親の愛情を受ける側にまわるわけで、だから親がいくら子供に擦り寄ったところで問題は解決しない。子供が親に向かって意志を伝えようと能動的になる瞬間があって、初めて親子の新たな出会いが生まれるわけだ。ということで継母継子問題の解決について、MH第8話の描写は実に的確でよろしい。