2 "子"のつく名前の女の子は頭がいい

上にも書いたのだが、最近の小さな女の子たちのピンク比率は異常ではないかと思うぐらいだ。チェーンストアや百貨店にも一角すべてピンクの子供服売り場が結構あるし、ピンク以外の選択肢が少ないということもあるだろう。しかしピンクが売れるからそうなっているということもいえる。まあ小さな彼女たちの洋服の好みはまず間違いなく彼女たちの母親の好みである。そしてその母親たちはおそらく僕に近い世代だろう。それら母親たちの好みの原型は、母親たちが子供のころに形成されていると考えられる。僕が子供のころに何があったのかというと、80年代前半を規定したあのバブル経済だ。
経済は重厚長大から軽薄短小へというのが合言葉だった。テレビ番組のターゲットはどんどんと低年齢化していった。70年代までの成長し反抗する若者という若者像が消滅し、成長しないことがよいことだという社会合意が成立しようとしていた。
話は変わるが、アイドルがどんどんと精神的に低年齢化してゆき、不良のお姉さんたちのスカートがだんだんと短くなっていった。おそらくちょうど僕がローティーンだったころ、大人になることがかっこ悪いことになったのだ。そのころの文化的変動が精神形成期にまともにぶつかったのが僕の世代で、この世代は現在小さな子供たちの親である。この親たちはおそらく子供を大人にしなければならないという思いはあまり強くないのだろう。もしくはそのような思いはあれど、その具体的な手法を彼らの親から身体的な文化遺伝子(いわゆるミームですね)として引き継いでいないものと思われる。親の文化的性向と子供の文化的性向の相関については金原克範the"PLUGLESS LIFE")『"子"のつく名前の女の子は頭がいい』(ISBN:4896915828)という(題名はエキセントリックだが)社会学の博士論文を一般書にまとめた非常に優れた研究がある。
オカルトとか占いとか姓名判断の類ではない。子供の名前は親が付ける。女の子に「子」のつく名前を付ける親とそうではない親とに分類すると、購買している雑誌や見ているテレビ番組について統計的に有意な差があった。この二つのカテゴリの親どうしには、文化的な差異があるというわけだ。そして子供たちが中学生になって読む雑誌や見るテレビ番組を調べてみるとやはり統計的に有意な差が確認され、学校の成績にも差が確認された。「子」のつく名前の女の子は頭がいい。しかしそれは「子」のつく名前の女の子とつかない女の子が所属する文化そのものが異なっているという、原因の一側面をとりあげただけだ。そして二つの集団が所属する文化の違いの原因は、彼女たちの親が所属する文化の違いである。だからあくまでも平均としての仮説なのだが、現代の子供たちは生まれたときにはすでに勉強ができるかできないかが親によってある程度決まってしまっている。そういう研究です。