絶望と希望の位相

のっけからアレですが細かいところを書き漏らしすぎなので別稿にてバージョンアップすることにします。すみませんです。バージョンアップ後にどのあたりを書き加えたのか見ていただくとうれしいと。

さて第28話のメインテーマだった絶望と希望だ。物語の中でそれが何を意味しているのかについては、どこかで誰かが考察しているだろう。だってもう水曜日だし。ということでここでは第28話の構造を取り出してみよう。なぎさとほのかはさなえおばあちゃんの経験を丸ごと追体験している。まあまだなぎさとほのかの戦いは道半ばではあるものの、ラストシーンにてさなえおばあちゃんがたどった絶望と希望の結果がなぎさとほのかの道のりの結論を暗示している。


主人公 おばあちゃん なぎさとほのか
(物語前) (絶望)
泣くような出来事
 
アバン
父の話
(絶望)→希望
父に坂の向こうを教えてもらう
 
夏の宿題   絶望
終わらない戦いへの不安
戦争の坂 希望→絶望→希望
瓦礫の中で父の言葉を思い出す
ミポを両手に
女の子と手をつないで
ふたりに父の言葉を託す
 
さなえの話
あかねの話
  (絶望)→希望
さなえに坂の向こうを教えてもらう
ミポを両手に
あかねにさなえの言葉を託す
戦闘の坂   希望→絶望→希望
日常への願い
PMSを打たないのに手をつないで復活
戦闘後にさなえの言葉を確認する
(メポミポ相手にふたりで)
さなえの結末 復興した街並  
ふたりの結末?   ザケンナーのいない坂
(復興した)街並
さなえおばあちゃんの回想が常になぎさほのかの今回のエピソードに先行して描かれており、さなえおばあちゃんの体験をふたりが60年の時代を経て追体験する(なぎさとほのかが、さなえの過去を彼女たちの過去と意識的に重ね合わせる)プロセスがきちんと時間軸に沿って並べられている。
さなえの話は坂の頂上で希望を思い出した時点で途切れており、結局そこからどうなったのかはさなえの口から語られなかった。これはなぎさとほのかの戦いがいまだ道半ばであることに対応している。ふつうの年寄り話ならばそこから苦労したとか今はいい世の中だとか結論が来るが、そのあたりは両者の対照性を崩さないようにと考えてある。
しかし、両者の結論はラストシーンに示されている。さなえおばあちゃんの話は坂の頂上で途切れている。そこから戦闘シーンがあった。これはその坂の頂上で希望を思い出してから結論が出るまでに長い時間がかかったと言うことを表現している。当然それは、なぎさとほのかの物語にも結論が出るまでに長い時間がかかるだろうということを対照的に暗示している。
ラストシーンには、なぎさとほのかがいる坂の頂上を引きの絵で捕らえていた。なぎさとほのかのはるか向こうには、どこまでも続く幸せな街並が静かに暑い夏の中たたずんでいた。さなえおばあちゃんが坂の頂上で抱いた希望は、長い時間をかけて幸せな街並として現実になったということだ。
なぎさとほのかの物語においても、彼女たちが今この坂の頂上で抱いた希望を失わなければ、最後には眼下に広がる街並みのような平和な世界へとつながるのだ。
こうしてラストシーンにおいて、さなえおばあちゃまの物語となぎさとほのかの物語は、今彼女たちが眺めている町並みで結びつけられている。今ここに広がる平和な町並みはさなえおばあちゃまのものでもあり、なぎさほのかのものでもあるのだ(ただし意味合いは違う。さなえおばあちゃまにとっては達成された平和な町並みだが、なぎさほのかにとってはどこかに新たな魔人たちを含んで不気味な静けさをたたえた不安な町並みだ。ほのかが「何とか持ちこたえているけれど、本当はばらばらになっちゃいそうなんだから」と言った状況だ)。さなえおばあちゃんとなぎさほのかの絆も、昔話を飛び越えていまここで結ばれたということだ。