3 成長の質と量

  • 問題1:なぎさが成長したのかどうか

misakikawanaさんの指摘は僕にとってもうなづける。たしかになぎさがプリキュアとしてドツクゾーンと対峙することを決意したのは第9話第11話のゲキドラーゴ最終戦だった。身近な世界に生きているなぎさにとって、それまでドツクゾーン光の園は自分とは無関係などこかだった。そして自身がプリキュアとしてその無関係などこかのために戦うこともまた、無関係な何かでしかなかった。第9話第11話でなぎさにとって最も身近な世界に属する弟亮太が巻き添えを食ったことで、なぎさはドツクゾーンが自分と無関係などこかではすまないことを実感した。というよりも、彼女の身近な世界にドツクゾーンが関係を迫ってくるということを知った。
だからなぎさが成長したかというと、特に成長していないともいえる。彼女は自らの身近な世界のためだけに生きている。それは第9話第11話以前から変わらないのだ。彼女は第9話第11話で戦うことを選んだ。それを成長というならば成長だろう。だが彼女の心が質的に変化したのかというと、そうでもない。
第9話での亮太失神後、なぎさは圧倒的な決意を解放した。とはいえその決意は彼女が意識して解放したものではなかった。亮太が巻き添えになるというハプニングにより、彼女の心は閾値を越えて彼女の自我による制御を失ったのだ。だから第9話第11話終了段階では、まだなぎさの決意は彼女の自我に定着していない。
そして第9話第11話からのエピソードは、なぎさにとっては彼女の自我の根元からきちんと戦いの決意を固める成り行きを描いている。なぎさにとってはと書いたのは、その後の話がキリヤとほのかをめぐる物語に重心を移していたからだ。キリヤ編でのなぎさはギャグパート担当というか、キリヤの自己発見という重い課題で沈みがちなストーリーのテンションを回復するアイテムだった。キリヤ編でのなぎさの相手はポイズニーだったが、ポイズニーは人間を操作してプリキュアに立ち向かわせた。ポイズニーは卑怯な手段で虹の園に住む人間たちを巻き添えにし続けた。
ポイズニーが巻き添えにした人間たちは第9話第11話の亮太ほどなぎさにとって身近な存在ではなかった。しかし人間を巻き添えにするという図式は亮太の場合と変わらない。またゲキドラーゴは意図しないままに亮太を巻き添えにしたが、ポイズニーは計算ずくで人間たちを巻き添えにする自己中心的な思考を持っており、それを隠すどころか自身のアイデンティティとしてとことん人間たちを操作した。そのようなポイズニーと戦いを重ねることで、なぎさの決意は徐々に彼女の自我の中へ浸透することになった。ポイズニー終戦でのなぎさの言葉は堂に入ってしっかりと彼女の自我から発せられた。
ポイズニー終戦でのなぎさを振り返ってみると、ポイズニーが理念女王だったため戦いの理由は完全にプリキュアポイズニーの精神力勝負になっていた。そこでは誰かのために戦うという構図はまったく採用されていない。ただただどちらの気力が勝っているかという「バカまんが」的構図だけがあった。この構図になぎさもしっかりとハマっており、第9話での「身近な世界を守る」という場所から離れたところで戦っていた。
そしてドツクゾーン終戦の対ジャアクキング様において、なぎさはまた別の理由を見つけている。ジャアクキング様がプリズムストーンを奪い自分が生き延びるために、仲間であるイルクーボを消したことに怒っている。またものすごく無気力な論理を開陳した運命主義者ジャアクキング様に向かい、戦う理由は友だちのためだとなぎさは叫んでいた。
第9話の亮太巻き添えというアクシデントで解放されたなぎさの意図せざる決意は、ポイズニーとの戦闘を重ねる中でなぎさの自我へと定着してゆき、ジャアクキング様戦で彼女なりの自覚を持った言葉になった。misakikawanaさんが言う通り、なぎさの決意は第9話で大きく転換した。しかしその決意をなぎさ自身の言葉として語るまでに内面化するためには、おそらくポイズニーとの長い戦いが必要だったというのが僕の考えだ。キリヤ編の重さを救うためになぎさがギャグ担当となってしまったため、ポイズニー戦がなぎさに与えたインパクトはかなり薄められてしまうことになった。だがなぎさは第9話以降も成長を続けていたと僕は思う。
(追記:クワタさん(負け犬の日記)ご指摘ありがとう。第9話はメップル救出でしたね。完全に書き飛ばしているというかリハビリ中でかなりねじが巻かれていないようです。クワタさんの言う通り亮太救出は第11話です。)