逆転するなぎさとほのか

ほのかは自らがキリヤを救えなかったことを知った。もちろんほのかの理性は現実としてキリヤが消滅していったことを理解している。しかしある方面では特別に未熟な彼女の感情は、キリヤが消滅したことが自らにどれだけ深く食い込んでいたのかを感じることはできていなかった。
しかし今回第22話で子犬を救えたことが、彼女の鉄壁の理性を決壊させるだけの感情の津波を起こす原因となった。キリヤはあの子犬と同じように自らでは動かすことのできない運命に流されるようにほのかと出合った。ほのかは子犬を救うことができた。そしてほのかは自分がキリヤを救えなかった事実を知った。キリヤが去っていった戦闘の余韻が冷め、すっかり日常の静けさに戻った。戦闘の緊張感が去り、固めていた心の壁が軋み始め、子犬を救った安堵感が彼女の心の壁は防衛体制から解除された。
ほのかはキリヤが消滅した事実を知ったわけだが、さらに彼女のこころの奥深くを眺めてみると、より根源的な衝撃をほのかが受けているのが見えるだろう。キリヤの消滅に立ち会ってしまったほのかは、おそらく人生ではじめての挫折をした。キリヤの消滅は彼女にとって、彼女が本気を出して立ち向かい、しかし現実の壁を乗り越えられなかった初めての経験だっただろう。彼女は彼女にできないことがあるという事実を見てしまったのだ。
ほのかは恵まれた環境に生まれた。両親は彼女のためにはなんでもするようだし、祖母のさなえは老賢者のように彼女を見守りつづけている。ほのかが躓きそうな石はこれまで彼女の環境や両親や祖母が全て取り除いてきただろう事が想像できる。そして彼女自身は利発で努力を厭わない。家族が彼女のために整えてきた道のりをまっすぐに前を向いて歩きつづけてきたことだろう。ほのかが今まで見せてきた楽天的な思考方法、人間関係への鈍感さ、自らの理を疑わない一途さなどは、周囲の人に手厚く見守られながら躓くことなく歩きつづけてこられたからこそのものだろう。
彼女がはじめて経験した自分の限界が、キリヤをみすみす彼女の目の前で消滅させてしまった前回第21話の出来事だった。これまで自分が本気で立ち向かった現実は、すべて彼女の望むように解決されただろう。しかしそれは立ち向かった現実のいくつか、かなり厳しい現実のいくつかがあらかじめ誰かによって調整されていたから乗り越えることができたのだろう。
しかしキリヤの消滅について、彼女のために現実を調整する人は誰もいない。彼女ははじめて生の現実と対決し、その現実は冷たく彼女を突き放した。キリヤの消滅はほのかにとって、それまで完全無欠の存在だった自分が限界を持った人間であるという事実を突きつけられる経験である。どうじにキリヤの消滅はほのかにとって、生の現実に対してほんとうに彼女ひとり(もしくはなぎさと共に導師抜き)の力で立ち向かった苦い自立のはじまりだった。
ほのかはプリキュアとしての運命をいち早く受け入れた。それは彼女が彼女という存在を外面から規定することを彼女の自我を構成する手段としていたからだ。ほのかは何かであることには慣れている。両親に対しての子供であったり、クラスメイトに対しての良い子であったり、部員たちにとっての憧れの的であったりという役割を受け入れることで自我を構成してきたということだ。だからほのかはなぎさがプリキュアであることを受け入れるための重要な精神的支柱となることができた。
一方なぎさは現在すでに自分が自分であるという事実を受け入れている。自分が自分であるという事実から、なぎさの自我は構成されている。なぎさは内面から自我を構成してきたということだ。だからなぎさはほのかにとって感情を成長させるための重要な精神的支柱になっている。ほのかはなぎさと出会うことで、感情を表現する訓練を積みつつある。肩書きのない雪城ほのかとして存在する時間を持ちつつある。
今回第22話のラストはほのかの涙で終わりを迎えると思ったのだが、最後になぎさによるその後日談が語られた。ほのかは子犬を救った夜にひとりで涙がかれるまで泣いたことをなぎさに話したという。なぎさと出会うまでの「だれかにとっての何かである雪城ほのか」ならば、彼女が泣いたことを誰にも話さなかっただろう。なぎさの前では誰の何でもないただの雪城ほのかでもよいとほのかが感じているから、ほのかは誰の何でもないただのゆきしろほのかとしてなぎさに自分の感情の結果を話した。しかしほのかは部屋の外ひとりで泣いた。なぎさの前で涙をこらえたのは彼女の美意識だっただろうし、なぎさに迷惑をかけたくないというほのかなりの思いやりだっただろう。このところなぎさがプリズムストーンを守るプリキュアとしての役割を強く引き受けていて、物語がはじまったころとは全く立場が逆転している。
これはなぎさが自己の世界に篭っていたそれまでのなぎさから成長しつつあるということだ。そしてほのかが役割の世界に囚われていたそれまでのほのかから成長しつつあるということでもある。
一時期「ふたりの違いを描くのがプリキュアなのに最近はほのかもなぎさも似たもの同士になってきてダメだ」という論調がネットで散見されていた。僕は二人が成長してゆけばふたりともが全面的な成長を遂げる方向に向かうだろうから当然二人は似たもの同士になってゆくじゃないかと思っていた。しかし二人の立場が逆転するところまで振り子を揺らすとは思わなかった。ほのかが立ち直れないほどのショックを受けてプリキュアでいられないかもしれないというのはまあ危ないとして、プリキュアとしての役割を引き受けすぎてほのかには残酷すぎるようなセリフを突きつけるようになっているなぎさもそれはそれで危ない状態にある。
ここからふたりがどのようにそれぞれ立ち直っていくか。そういうところに注目したいと思う。