いずみのさん

はてなダイアリーは過去にも未来にも日記を書けるわけで、フライングで5月31日の文章を書いてしまいます。というのも第18話のメインプロットはキリヤの葛藤を描いているのですが、これだけで話を組み立ててしまえば第8話以上にスローなブギになってしまう。それをプリキュアのプロット詰め込みで複雑かつ起伏にとんだ放映回にしてしまったのが今回だ。
第18話のメインプロットであったキリヤの内面劇について何かを書くのはひとまずおいておいた。だから昨日分ではそれ以外に書きたいことを書いた。予想通りそれだけで一日の感想分になってしまった。というわけでキリヤ分は本日分になったわけです。
その前にいずみのさん(id:izumino, ピアノ・ファイア, Sun 2004.05/30)を観測します。最近なかなかうまく言及することができなかったのですが、プリキュアの理屈担当の人として楽しく拝見しています。

第16話では「戦士としてのプリキュア」は「周囲の人達の悩みを解決できるとは限らない」という現実を(図ってか図らずか)描いてしまったわけですが、今回の第18話では「生身のほのか」が戦いを通じて得た「何か」で友達の悩みを解決しようと努力している。
この「戦士/生身」の二層性もまた、プリキュアの通底的なテーマとして流れている筈で、注目のしどころだと思います。

そうか、戦いで得たものは日常のほのかにフィードバックされているのだ。なぎさとほのかは世界と異世界の越境者というわけだ。うむう。
いま気が付いたのだが、靴箱の隅で聖子が泣いているとき、周囲には他の女子生徒たちがそれぞれの日常を生きていることが分かる。靴箱には日常の会話が溢れているからだ。誰かの悲劇は誰かにとって全く関係がないということで、人は世界の中心ではないということを残酷に宣告している。これはいずみのさんが上で指摘している「周囲の人達の悩みを解決できるとは限らない」ことと対応している。とても良いシーンだと思う。