1 状況再見


ここではまず問題のシーンを共有しよう。
それではまず問題のシーンをおさらいしよう。ほのかは学園とお屋敷の間を電車で通学している。夕方、ほのかはひとり電車を待っている。そこへ背後からキリヤが声をかける。
「あの…」ほのかの後姿にキリヤの声。
「うん?」振り返るほのか。キリヤとほのかが引きの同一フレームに収まる。
「何か…」何の表情も見せず答えるほのか。少し感情が抜けた表情をするキリヤ。
「ああ、すいません。つい」と思わず下を向き安堵のため息をひとつつくと即座に余裕のにこやかな微笑みを取り戻してキリヤが続ける。
「先輩はひょっとして、女子部科学部の…」
「ええ… 雪城ほのかです」ここでカットはほのかのアップへと転換。足を固定したままキリヤへと振り返るほのか。
「あなたは?」そして興味も嫌悪も何も無い瞳でキリヤを半身で振り返り見つめ返すほのか。第1話で数学のピンチをすくわれたなぎさが廊下でほのかに礼を述べたあと、振り向きざまにほのかが見せた興味の視線とは驚くほどに異なっている。
「あ… ぼ…」おそらくはほのかの動かぬ感情への反応なのだろう。キリヤの目が大きく開き、頬に赤味が差してしまう。そしてキリヤが今までドツクゾーンやサッカーグラウンドやなぎさ下校時に見せていた流暢な言葉は、今のキリヤには出てこない。
「僕は… 男子部一年の… 入澤キリヤと申します…」男子部一年の、でキリヤは多少くちびるの緊張をほぐす。しかし自己紹介が済んでからもキリヤの目線はほのかから外れて下を向きつづける。そしてキリヤのまゆ毛は左右が非対称に歪んでいて、ここでほほの赤味はさらに強くなっている。
ここでカットはやや引きぎみになり、キリヤの斜め後方からほのかの顔を正面に捉える。
「それで?」まだ表情に感情を持たないほのか。
「あ…」ほのかの一言に思わず視線を上げるキリヤの後姿。
「何か用?」ほのかの横顔に切り替わる。画面奥から電車がホームに向かい走ってくる。
「えっ… いや…」キリヤ正面あごから額真ん中までのアップ。キリヤの目はまったくまるまると開かれ、顔から一切の表情が消える。そしておもむろにカメラはなめるような動きでキリヤのおでこへと移ってゆく。キリヤの口は力を失い半開きとなり、やがて映し出されたキリヤのまゆ毛は糸が切れたように目から遠ざかっていたのだった。
すぐにキリヤが見ているほのかの顔へとカメラは移る。一貫して何の表情も示さないほのか。すると走ってくる学園女子部生徒のハイソックスが映し出される。待ち合わせをしていたユリコがようやく到着したのだ。
「ほのか〜。お待たせ〜」もうほのかしか見えないユリコ。
「本当にほのかの家にお邪魔していいの?」
「どうして? 大丈夫よ。さ、原稿のチェック、ふたりでやりましょ」ユリコの方へ体を向けて答えるほのかの頭には、最初からキリヤなど映っていなかったのだ。ユリコを迎えたほのかはようやく表情が表に出る。電車が停止し、扉が開いた。ほのかとユリコが対面して交わすこの会話の間、ふたりの真ん中後方に映るキリヤはひとり取り残されボケっと突っ立っている。ユリコにもほのかにもキリヤの焦点は定まらず、ただ二人の間にある空間をじっと見つめているだけだ。
「うん… あ、噂の転校生」キリヤへと振り向くユリコ。そのときカメラはユリコの言葉を聞くキリヤに移っていて、ようやくユリコを視線に捉えたキリヤはここでやっと今までの冷酷な表情を取り戻す。
「ユリコ。電車出ちゃうよ?」とユリコを見つめながら乗車を促すほのか。
「じゃ、やることがあるので」ほのかはキリヤへ頭だけを回して厳かにかつきっぱりと宣言する。ユリコとの会話で見せている表情はキリヤに微塵も与えることなく、最後まで何の表情も作らずキリヤを寄せ付けないほのかであった。カメラはキリヤへと三転し、落ち着いた表情で電車に飛び乗るふたりを目で追うキリヤ。
「うあ〜。せっかくだからお話させてよ〜」今にも閉まる電車の扉からキリヤを見つめるかなり残念そうなユリコの隣では、まだまだ無表情にキリヤを視線におくほのかがバッグを両手に持ちきりりと背を伸ばして直立不動の姿勢をとりつづけていたのであった。そして扉が閉まり、電車はそのようなふたりを乗せて線路の向こうへと走り去っていった。そして誰もいなくなったホームにひとり取り残されたキリヤ。表情と体からは何の気力も感じることができない。呆然と遠くなる電車を見送るしかなかった。
「めずらしいんだワン」背後にポイズニーの気配を感じ取りカメラ側へと振り返るキリヤの瞳は、すでにあの冷酷な光をたたえるいつもの瞳に戻っているのだった。すると後ろ足で立つバカでかい犬がそこにいて、二日前に私が書いたポイズニーとの会話シーンへとつながるのでした。