2 計算と誤算のあいだ


要約:「それで?」の一言を受けてキリヤの計算は誤算へと変質してゆくのだった。
おそらく「僕は… 男子部一年の… 入澤キリヤと申します…」まではキリヤの計算された自己演出だろう。サッカー部に取り入るにはいきなり制服姿でグラウンドに突入し、体力と技術を自慢にするベローネ学園男子部サッカー部員たちには体力で対抗して自分を演出して見せた。またなぎさには意表をついて
「どうしたしまして、美墨先輩」と突然名前を呼んだ。
「え… 何で私の名前知ってんの」と疑問に思うなぎさに対し
「知ってますよ。二年生にしてラクロス部のエースだって評判ですから」とさりげなくなぎさの自尊心をくすぐるようにおだてて見せ、おっちょこちょいでおだてられやすい(出会ってすぐのメップルにすら「扱いやすい」と評されるほどなのだ)なぎさの心へと忍び込むことができるのだ。だから当然ほのかの性格を測った上で準備万端整えて駅のホームにて声をかけたはずである。
学年一番の頭脳を持つほのかにはおべっかは通用しない。さらに毎月5通のラブレターを受け取るほのかにはクールなイケメンも通用しない。とすればほのかが気を許すにはどうすればよいだろう?
人は類型的な反応に親しみを感じるものだ。ということは毎月5通のラブレターを受け取る学年一番の秀才ほのかにとって類型的な反応をしてみせればよいわけである。それは
「ほのかに思いを寄せながらしかし彼女の完璧さに近寄りがたいものを感じて遠くからあこがれていた男の子が、思い切って話し掛けたものの何をどう話してよいのか分からなくて話が続かず黙りこくってしまう」
と、そういう知的でおとなしいシャイな男の子を装うことだ。バカでは軽蔑されておしまいだし、自分を鼻にかけていれば心を閉ざされるし、転校早々自身満々では見向きもされない。だから頬を少し赤らめながら目線を合わせられない繊細さを演出すれば、そのような関係になれているほのかは思わず「また同じような男の子が近づいてきたわ」と受け入れないまでも拒否もしない… はずであった。
入澤キリヤです、とはにかみながら自己紹介するまではキリヤの計算どおりだったのだろう。そこでキリヤの計算ならば
「新しく転校してきたサッカー部の?」もしくは
編入試験で満点だったあの?」
というように自分をすでに認識している上での返答があるはずだった。そうするために学園一の人気者藤Pが所属するサッカー部に入り込んだのだし、編入試験で満点をとったのだ。文武両道、これで自分を知らないはずは無いし、誰もがそんなヒーローのことを知りたがるはずだ。科学部の面々ですら大ニュースとして取り上げる藤Pなのだ。当然「藤Pを抜き去った編入試験満点の転入生」である自分のことはほのかですら知っているはずであった。それが
「それで?」
の一言でおしまいである。ほのかのその一言でキリヤの言葉は失われ、表情も大きく変化した。キリヤの人間理解を越えたほのかの反応は、キリヤの心に理解不能の混乱と共に興味を抱かせたのだろう。それは理解可能な反応を示したユリコが登場した瞬間にキリヤが冷静を取り戻したところにも現れている。キリヤが間違っていないということをユリコがキリヤに教えたのだ。熱血娘のポイズニーには理解するものにとっての理解不能がどのようなものであるかを感じ取ることができない。だからキリヤが「興味がある」と言ってもそれを強がりとしか認識できなかったのだと思われる。そしてそんなポイズニーに細かいところを説明したところで別に利があるわけでもなく、キリヤはポイズニーが理解できる世界の言葉の中に自分が感じた気持ちを隠蔽してしまったのだと思われる。

ということで今後の物語が楽しみである。