3 プリキュアっぽさとは

大塚さんの記述を(第15話分に限らず)読んで感じるのは、演出さん、監督さん、作画監督さんたちがものすごく力をいれて「プリキュアっぽさ」を作り上げているのだなあということだ。今回の脚本は、プリキュア初登板の山下憲一さんが書いている。大塚さんやプロデューサーさんなどによる強調、変更の記述を見るに、山下さんはけっこうまじめな方らしい。というか初回登板であまりはっちゃけるわけにもいかないだろうけれど。
たとえば脚本では、咲と沙織さんが台所で手を合わせるシーンはもっと説明的だったようだ。ドロドロンはもっとまじめに登場したようだし、プリキュアたちが燃える理由も、よりまじめな理由だったようだ。
しかし放映されたものを見ると、おそらく脚本版よりも放映版のほうがより「プリキュアっぽい」だろうと思われる。プリキュアは先代からずっと、愛と勇気と根性を中心に描いてきた。またドロドロンを見て思い出すのはゲキドラーゴやウラガノスであり、だからドロドロンは放映版ぐらいバカっぽくなければプリキュアっぽくない。というかS☆Sはすでにカレッちとモエルンバだ。
そんな感じで製作者のみなさんがずっとがんばって、プリキュアっぽさというのが作られているのだろうなと思うのだった(もちろん脚本の人たちも含めて)。