3 入れ子の対立

先代プリキュアは(といっても現S☆Sにも当てはまることである)対立のストーリーであった。それは主人公が対照的なふたりだとか、大枠が光と闇との戦いだとか、ジャアクキング様とクイーンが表裏一体だという設定だけではない。先代プリキュアにおいては、何もかもが表裏一体であると言ってよい。なぎさ個人において外面と内面が対照を成して存在する。ほのかにも外面と内面が対照を成している。そしてなぎさの外面とほのかの内面が呼応し、なぎさの内面とほのかの外面が呼応する。なぎさとほのかは対となり、さらになぎさとほのかはブラックとホワイトと対になっている。
プリキュアたちと闇の人々が対であり、光の園ドツクゾーンが対になる。そのような感じで全部書くと大変なので図示する。

入れ子の対立

上図のように、先代プリキュアにおいては対立が入れ子になって連続している。それはなぎさおよびほのかの個人的心理にはじまり、日常と非日常という世界のありようにまで連綿と続く。そして、ある対立はその上位の対立と絡み合いながら物語を駆動していた。たとえば……

  1. なぎさ心理の、友達相手に見せる快活さに対して、藤P相手の意気地なさが無印第8話の基礎となった。同様にほのかは外向きの明晰さと内向きの気弱さが無印第8話の基礎である。さらに上位の対立として、そのようななぎさとほのかの対立が第8話の中核だった。
  2. なぎさの中で美墨なぎさであることとキュアブラックであることが対立していた。これは無印第11話までの物語を駆動した。その後この対立は「日常と非日常」というより大きな枠組みへと組替えられた。
  3. プリキュアと闇の人々とが対立する、というのは非日常のエピソードを形成する基本的な枠組みだった。
  4. 闇の人々とジャアクキング様とが対立していた。しかし光の園プリキュアも、思想的には対立していた。それは普通の中学生として日常を大切にしたいなぎほのにとって、光の園およびクイーンがなぎさとほのかに非日常を強いるものであるからだ。
  5. 光の園ドツクゾーン、クイーンとジャアクキング様が対立する存在だった。しかし彼らはどちらも非日常の両極であり、
  6. 最終的に物語の枠組みは「侵食してくる非日常から日常を守る」ものとなる。ここではクイーンおよび光の園ですらなぎほのにとっては、最終的に排除されるべき「自分ではないもの」となる。

ここで物語は、もう光の園ドツクゾーン(すなわち正義と悪)という対立ではなくなっている。主人公であるなぎさとほのかにとっては。物語のはじまりが「非日常への違和感」であった。なぎさとほのかがプリキュアであることを引き受けたのは、ドツクゾーンが彼女たちの日常を踏みにじるモノであるからだった。つまり彼女たちに押し寄せる外部であるからだった。
外部から自身を守るために、なぎさとほのかはプリキュアという外部(プリキュアであることは彼女たちにとって非日常である)であることを受け入れた。しかし彼女たちにとって、それがたとえ外部への抵抗であるにせよ、プリキュアであることおよびプリキュアとして力を振るうことは彼女たちの本来ではない。彼女たちがプリキュアとしてジャアクキング様を倒すということは、外部に対抗するために外部になりきることであって、彼女たちにとってプリキュアであるということは矛盾である。
彼女たちにとって本当に乗り越えるべきモノとは、プリキュアという「正義の戦士」として「悪の敵」と戦うことそのものなのだった。