1 クイーンはいつ復活すべきか

いつ復活すべきかというのは、構成のテクニックという意味ではない。闇の側がジャアクキング様を復活さた。今後光の側はクイーンを復活させようとするだろう。両者はひとつのものの裏と表であり、対称をなしている。ということは。
MH第45話の最後で描かれたジャアクキング様復活において、あのお方は言葉と感情を失いつつあるように見える。彼の体も闇の中に溶けていこうとしているかのように描写されていた。するとクイーン復活において、やはり九条ひかり九条ひかりの言葉と感情(九条ひかりとしての心)のみならず、九条ひかりとしての身体をも失うのだろうと予想される。
するとかたちとしては、闇の側と光の側は等しくなる。誰かが犠牲になることで、全体として利益になる結果を得るということにおいては、両者は違いを持たなくなる。すると闇の側に対して、光の側が正義を主張する根拠はどこにあるのだろう。じつはそんなものは無く、価値は相対的である? それとも最終的に勝ち残ったものが正義になる?

クイーンに戻せと言う闇の戦士の台詞は、素直に戻せば結構感動を与えてまずまずの及第点をくれるんだよという誘惑。戻さないプリキュアの決意は、ストーリーの破綻のリスクを
おかしても救いたいというスタッフや視聴者の願い(よほどうまくまとめない限り、ご都合主義の批判を受けかねない)を表わしているような気がします。
(比奈子さんコメント, ほぼプリ2006年1月17日コメント欄より抜粋)

僕はバルデスの誘いに乗って九条ひかりをクイーンへと素直に戻すのは、なぎさとほのかがこれまでプリキュアとして苦難を乗り越えることで掴み取ってきたいろいろなものに反する行動だと考えます。だからもしそうなっても感動しないだろうし、それどころか完全に物語が破綻すると考えます。
ということは僕にとって、なぎさほのかがクイーン復活を拒否するのはそれしかありえない唯一の道であると思えています。以下書くように、闇の側と光の側のどちらにおいても、大義(それぞれの世界の根源であるジャアクキング様およびクイーン)を成就するために個(あのお方および九条ひかり)を犠牲にする必要があります。この点においてドツクゾーン側と光の園側は全く同じです。
しかし僕にとって、闇の4人がジャアクキング様を復活させるそのやり方は間違っているように思えます。そしてやがて来るであろうクイーン復活への道筋は正しいのだろうと思います。