罪と許し〜黒白対決における目覚めの過程(2)

昨日の続きっぽいです。

ほのかの目覚め〜究極の自己実現

ふたりはプリキュア」において、ブラックとホワイトであるときにはお互いを「ブラック」「ホワイト」と呼ぶ。これは無印からずっと続けられている。プリキュアの世界において原理的な重みを持つ設定である。たとえどれだけ違和感があろうと、この原則は貫かれてきた。
この原則が破られたように見えるのは、二回だけだ。無印第21話「衝撃デート!キリヤの真実」である。ブラックがキリヤに向かい

「キリヤ君。あなたにはほのかの気持ちがまだわからないの? ほのかは真剣に接してたよ。キリヤ君のこと精一杯受け止めてたじゃない。楽しそうだったよ。そして、一生懸命だったよ。そんな、そんなほのかの気持ちがわからないの?」

と語りかけている。これはほのかであるときのほのかを指し示しているので、厳密な意味では原則を破っているわけではない。となるともうひとつ無印第42話「二人はひとつ!なぎさとほのか最強の絆」である。無印第42話は途中まで抜き出してみたが、ブラックとホワイトがもうなぎさほのか言いまくりなので無理。
無印第42話は完全に原則を破っている。そしてここにおいて原則は破られなければならない。「ブラック-ホワイト」ではダメだ。役割ではなく、存在としての「ほのか-なぎさ」をお互いが心の底から一方向に求めているからだ。
ブラック-ホワイトが物語の原則を外れておたがいをほのか-なぎさと呼ぶ。それはおたがいの全存在をお互いが求める時なのだ。
そして映画版。(以下ネタバレにつきhttp://precurized.hp.infoseek.co.jp/へ)