上北版と映画版における主題の相違

ということで本日3回目の映画館詣でをしたわけだが、この一週間は九条ひかりシャイニールミナスを視野に置いて「雪空のともだち」を考えていたので、九条ひかりシャイニールミナスと○○○のやりとりが新鮮に映った。
ほぼプリではここのところ上北版と映画版を比較している。上北版の元となっているシナリオが先に完成したもので、そこに変更を加えたものが映画版のシナリオであるというのが、僕の推測である。
で、巷には上北版を読んで映画を見たら失望したとか、映画版のほうが優れているとかいう優劣を比較したりすることがあるらしい。個人の嗜好に基づけばどちらかにより好ましい感じを抱くのは当然といえるのでソレを表明することは良いのだが、他者と意見を交換するには注意しなければいけない。
どこかの部分においてどちらかが優れている場合には、そこを基準にして作品全部の優劣を争うことは避けなければならない。また映画とまんがというメディアの差異を考慮する必要がある。また、僕が見るところ上北版と映画版とは主題が異なる。こういう場合は主題がどこにあるかを確認し、その主題をどの程度作品の中で消化しているかを検討する必要がある。


つか、どちらがどうという文章は一度チラシの裏に書きなぐって、気持ちを昇華してからネットに載せる。自分と異なる好みを持っている人に自分の気分を押し付けない。
(せっかくだから自分で実装したチラシの裏機能に書いてみました。)
(さてここからはネタバレなので、続きはhttp://precurized.hp.infoseek.co.jp/に)

チラシの裏2枚目。追記:でもどっちが新しい古いというのもかなりあいまいで、上北版は編集者さんに加え、映画のプロデューサーでもある鷲尾さんをはじめ、浅間さん、映画版監督の志水さんのチェックを通している。まんがは最終的に漫画家さんの比重が、映画版に比べて高い。映画は演出つけてコンテ切って原画書いて動画加えて、とたくさんの段階があり、それらの諸段階を経てシナリオにけっこうな変更が加えられつつできあがるということだ。多くの人々がそれぞれの思いを映画に注ぎ込む過程を経て、映画版では徐々に「本物のともだち」とは何かという主題が蒸留されてきたのだろうと推測する。この蒸留過程で研ぎ澄まされたものもあれば、殺ぎ落とされたものもあるだろう。それゆえおそらく理念的なものが好みならば映画版、こまやかなものが好みならば漫画版にというようなことになっているのではないかと思われる。ワインが好きかウイスキーが好きか、とそんな感じではないかと。