総論:プリキュアたちにとっての正義

ネタバレしないところまではここに書きます。続きはほぼプリ出張所へ。最終的に「映画は大友版の最終回であり、TV版最終回が小友版なんだろうな」というところへ落ち着きたい。しかしかなりしょっぱなから紆余曲折してます。映画が大友版最終回だというのは「萌え」というよりはむしろ「戦いにおけるプリキュアたちの正義とは何か」という小友にはまず問題にすらならないところに、実に見事なプリキュア的回答を提示したところにあると考えている。この問題は「ふたりはプリキュア」が始まった時点から問題であった。これまで無印でのジャアクキング様決戦の2回、この問題に回答を提示する機会があった。しかしうまく回答を出せたとは思わない。
ジャアクキング様決戦で示された回答は、それなりに説得力をもつものだった。しかしそれは正義問題をそれだけ取り出した場合の印象である。一般論として誰が語っても間違っていない、というレベルである。プリキュアたちにしか語れないものではない。美墨なぎさ雪城ほのか、またはキュアブラックキュアホワイトにしか語れないものではない。彼女たちの存在をかけた、真実の回答ではないように感じられるのだ。
「雪空のともだち」で彼女たちが敵に向けて語る言葉は、実に彼女たちだけが語ることのできる真実の言葉のように思えた。彼女たちがぎりぎりの困難と痛みの果てに掴み取った友情が、彼女たちの正義に血肉を与えていることが感じられたからだ。

正義を担保できる友情のかたち

映画版の主題は、言うまでも無くなぎさとほのかの友情であった。ただしhttp://precurized.hp.infoseek.co.jp/に置いた「罪と赦し。本物の友達。真実の愛〜映画版マックスハート2論考(1)」で見たように、上北版(まんが)と映画版では友情の描き方が異なっている。
さらに論考(1)で指摘したように、僕は上北版の元になった脚本のほうが初期のもので、そこから手が入り映画版の決定稿になったのだと考えている。なぜかというと、上北版の友情が無印プリキュアで描かれていた友情であり、映画版の友情はTV版マックスハート(以下TV版MH)で描かれている友情だからだ。ということで、まずは無印とTV版MHとで描かれている友情のかたちにはこういう違いがある、ということを書く。つかこの論考にどう収拾をつけるのかは、まだわからない。