1 自立することが課題だったなぎさ

事実確認

なぎさの場合は普段の生活がほのかや友人や家族との絆に囲まれており、なおかつ周囲にフォローしてもらう事が多い。なぎさも周囲にフォローしてもらうことを当てにしているフシがある。それゆえなぎさは自立することが課題となる。他者との絆を結ぶためには、人は自立しなければならない。他者に寄りかかるだけでは、いつかその絆は断ち切られてしまう。なぎさはほのかに頼るだけではなく、ほのかに頼られるなぎさになることが課題だったのだ。
ほのかから見れば、なぎさに頼っていることもある。無印第8話ではなぎさがほのかを引き止める努力をしたから関係が修復された。第10話の宝石店でのほのか救出、第17話のほのか救出、第20話の偽ほのか看破、第37話の演劇中変身など、無印第42話にいたるまでにもなぎさによって状況が動いた場面はたくさんある。
しかし問題はなぎさの認識にある。

やっぱわたしひとりじゃダメだよ…… だって、だっていつもふたりだったんだよ。わたしひとりの力じゃ無理なんだよ。いつもふたりだった。何度も励ましてもらった。ホワイトがいないだけでこんなにも不安だなんて…… ありえない
(無印第42話「二人はひとつ!なぎさとほのか最強の絆」地下鉄ホームでつぶやくブラック)

どーでもいいことだがこの直後、電車ザケンナーの中でなぎさが反転するシーンのBGMは、必殺シリーズで仕事人たちが仕事に向かうBGMを髣髴とさせるな。このへんhttp://www.geocities.co.jp/Playtown/8118/list.htmlとか、このへんhttp://www3.ocn.ne.jp/~ace2/animemidi.htmとか。プリキュアとは関係なく必殺シリーズだとhttp://www.daigoro3.com/daigoro/dtm/dtm-dl.htmこのへん。すごい人はたくさんいるなあ。METALLICAの「BLACKENED」の裏へ回って半分ずつ帰ってくるドラムを再現する人もいるし… 置いておいて。

バカにするのもいい加減にしてよね。バラバラ… ひとりじゃ何もできないって… そんなの当たり前じゃない。みんな元々ひとりじゃない。私が私のために、ほのか探してどこが悪いの。自分を大切にして、何がいけないのよ。ひとりじゃ何もできなくたって、私にできることはたくさんあるんだから。そんな当たり前のことの、どこが悪いのよ。
(無印第42話「二人はひとつ!なぎさとほのか最強の絆」たくさんのザケンナーを前につぶやくブラック)

どうも、先の引用での言葉から、この引用の言葉がどのような位相にあるのかがずっと分からなかった。これまで別に誰もなぎさ=ブラックが自分のために行動することをとがめているわけではない。しかし無印第42話で描かれようとしているものがなぎさの自立であるという視点で考えるというか補完すると、こんな感じではないか。

これまでの強さは偽の強さ

プリキュアたちはこれまで「手をつなぐ」ことで生き残ってきた。二人で力を合わせることがプリキュアたちの価値だった。一方、ドツクゾーン側では、ジャアクキング様ただひとりのためなら世界の全てを破壊しても良いのだという「利己」が彼らの価値だった。そして無印第42話時点では、利己を求める分身三人がジャアクキング様さえ捨てようとしていた。
協力することはプリキュアたちの価値であり、自立することは分身たちの価値であった。だからなぎさはこれまで手をつないでほのか=ホワイトと協力することに集中してきた。なぎさにとって協力することは比較的簡単なことだった。なぎさは普段から他者の助けを借りながら生活しているからだ。ほのかとの絆が深くなるにつれ、なぎさはほのかに頼るようになっていた。ほのか無しではだめになっていた。
で、そこを無印第42話で分身たちに衝かれたのだった。なぎさにとっては、これまで正義であった「協力」という価値が悪に転化してしまった。そしてこれまで悪と見なしてきた「利己」が必要となった。しかしその「利己」という価値は、分身たちの口からささやかれているのだ。ということは、ここでなぎさが見つけなければならないものは、分身たちが象徴している「悪」と非常に近いところにあるということだ。なんというか、フォースの暗黒面という感じですね。
ここでなぎさが利己に目覚めるというようには進まない。例えばなぎさが利己に目覚めてしまうというのは「悪の増大」である。しかし実際には、ブラックとして戦うことができなくなるという「正義の減少」として描かれた。手法としてはどちらでもよい。ただしプリキュアは小友のためのお話なのでブラックが破壊的になってしまうのはNGである。ブラックがこれまでホワイトに頼っていたという「偽の強さ」を描くにしても、プリキュアとしては「正義の減少」を描くことしかできない。
ということで、なぎさ=ブラックの強さが実は、ほのか=ホワイトに頼ることで実現されてきた「偽の強さ」であるということが、ほのか=ホワイトを失うことで表面化したのだった。

分身たちのささやき〜手に入れてはいけない偽の強さ

今までのなぎさの強さは、ほのかに頼らなければ出てこない偽の強さだということが暴かれた。ほのかを失い、なぎさは混乱する。そのとき、分身たちがささやくのだった。

おまえたちはひとりでは何もできない。だから必死になって探す。相棒を探すフリをして、本当は無力な自分を安心させたいだけなのだ。結局おまえも自分のことしか考えてはいない。そうだ、全ては自分のためだ。自分だけのためなのだ…
(無印第42話、ホワイトを探すブラックに聞こえてくるベルゼイの声)

これまでの偽の強さを失ったブラックに、分身たちは追い討ちをかける。おまえたち(ここでは語り掛けられているなぎさ=ブラック)の強さはニセモノだ。ふたりがそろいさえしなければたやすく壊れるニセモノの強さだ…
ということは分身たちは以下の確信を持っている。われわれ(分身たち)こそが本当に強いのであり、本物の強さを持っているわれわれがお前たちに負けることなど無い… とまあそういう感じであるが、これは分身たちの確信である。分身たちが「本物の強さ」と確信しているものは、プリキュアたちにとっては手に入れてはいけない強さである。これまで無印前半でもピーサードポイズニーが語ってきた強さである。
しかしこれまではお互いの強さ比べだったのでなんとか済んできたのだが、今回分身たちはなぎさ=ブラックの強さの実体に手を突っ込んできた。そして今までの強さが偽の強さであることを暴露した。なぎさ=ブラックには、それに代わる強さを持っていない。そこで分身たちは「利己こそが力」となぎさ=ブラックにささやく。しかし闇の分身たちが持っている力をそのまま認めるわけにはいかない。

難しかった回答

これまでのホワイト=ほのか頼みを否定され、分身たちの強さにも同意できない。ブラック=なぎさはここで新たな強さを手に入れなければならない… と、ここまでは放映でも良く分かる。で、ここからブラック=なぎさをどこへ脱出させるかというのが難しい。なぎさが偽の強さに陥っているという描写は、この回で唐突に出てきた。そしてもうひとつの強さは分身たちの側にある。
放映を見ると、製作者たちもこのあたりは解決に悩んだものと思われる。というのもこの問題に対する解答を、これまでの全放映を通じて最高と言ってよい熱い戦闘を描くことで何となく流してしまったように思えるからだ。
これは無印第42話の出来が悪かったということではない。それどころか話数としては上位に位置するだろう。「本物の強さ」が何だったのかという問題に限定すると、うまく回答が出ていないように思うということだ。

回答は延期〜後の「今を精一杯生きること」に続く

しかし、なぎさ個人にとっては取り敢えずの回答が出ている。なぎさはそれまでの出来事を通じて、ほのかに頼りすぎるようになっていた。それを自覚し、無印第42話のラストでは「なるべく自分で頑張る」とほのかに宣言している。なるべくというのがミソで、これからも他者に頼ったりしながら、しかしこれからはなるべく自分で頑張ろうという地点になぎさはいるからだ。
とはいえ、ではそれで回答として十分なのかというとそうでは無いように思う。その後「なるべく自分で頑張る」という表現が出ていないからだ。
闇の存在たちに対しては、その後「今を精一杯生きる」という表現が出てくるようになる。この「今」には、なぎさ本人とほのか、光の園虹の園の人々がどちらも含まれる。「今」という状況そのものを大切にするという新たな軸を打ち出すことで、誰を大切にするのかという問題設定を無効にしているわけだ。
(明日に続く)