2 誰のための真実

ということで、ひかりと少年が出会うことの重要性(重要性だけだが)を知っているのは、世界の中でウィシュンただひとりである。誰も何が起こるかを知らない。プリキュアのこれまでを考えるに、西尾大介さんや川崎良さんも知らないだろう。
ウィシュンは『その時が』『真実が』『近づいている』という言葉を使っている。僕がここで気になるのが『近づいている』という言葉だ。MH第21話とMH第34話でのどちらも『近づいている』と予言されるのだが、演出が異なるために別の意味を突きつけてくるように思うのだ。
MH第21話は、近づいているのは運命そのものであるように感じられる。少年が洋館の外へ出てゆく理由が視聴者にはわからない。少年その人が外へ出たいと願った(そして実際に出て行った)理由もわからない。また、少年の外出を知ったビブリスサーキュラスは「いずれ外の世界に関心を持つのは誰の目にも明らかだった」「外の刺激が何をもたらすか、誰にも分からない」「目覚める時が近づいているのかもしれない」と話し合っていた。少年が洋館から外へ出たいと思っていたことだけは分かる。しかし理由はわからない。
少年と対を成す九条ひかりも、特に何かを知覚していたわけではない。ふたりはそれぞれ何も知らず、しかしふたりともあの交差点で出会う目的を持っていたかのように、引き寄せられるように歩いた。ふたりは鏡に映った影と本体のように、シンメトリカルに位置している。身体的にも、精神的にも、運命的にも。というのがMH第21話の演出だ。
しかし出会った瞬間まで保たれていた対照性はその直後に崩れ去る。ひかりはただ呆然とするだけだったが、少年はひかりの姿と共にシャイニールミナスのイメージが見えた。そして気を失った。
そしてMH第34話に至るまでの洋館シーンを通じて、視聴者に「少年はルミナスのイメージを抱きつづけ、ルミナスに会うために洋館の外へ出ようとしている」と思わせている。そして今回の外出の理由は、視聴者にとって明確である。理由を知らないままではあるもののルミナスに会うために洋館の外へ出たのだ。しかし九条ひかりは少年に会いたいと思っていない。MH第21話で演出されていた、少年とひかりの対照性が今回は崩れている。
少年がひかりを目指して近づきつつある状況で「真実が近づいています」とウィシュンが言うのを聞くと、真実というのは少年にとっての真実であるかのように思える。