14 あなたのため、わたしのため、せかいのため

前回までMH第32話感想の11から13で書いたことは、大和屋のおばさんの問題が、そっくりそのままほのかとなぎさの問題をなぞっていたのだということだった。
ほのかとなぎさの問題とは次のようなことだ。プリキュアとして戦いつづけることを、なぎさとほのかが引き受ける理由がどこにあるのか?
ごく普通の中学生として育ってきた彼女たちにとってプリキュアに選ばれていたという現実は、状況的に言うと「なぜ私たちがプリキュアでなければならないの?」というしかないものである。
客観的に説明すれば、世界全体の存亡に関わる戦いを彼女たちは引き受けているわけだ。彼女たちは「みんなのことなのだから、私たちでなくても他の誰かが戦ってもいいじゃない」と開き直ることもできる。しかも彼女たちが戦いのうちに消えてしまえば、誰もその事実を知らないまま世界は滅びてゆく。彼女たちは一方的に、自分たちを世界に捧げていると言ってもいいだろう。
大和屋のおばさんの問題は、自分が一生懸命に団子を作ってもお客さんは減ってゆくことだ。それは自分(の団子)が注目されなくなってゆくこと、自分が大和屋を続けても続けなくてもどうでもよいことなのではないか、という疑念が生まれてしまったということだ。年々体力的に辛くなる団子作りを、頑張って続けてゆくだけの意味が見出せないということだ。
これは「しがないサラリーマンを続けてどうなるんだ」とか「いい学校に入れる成績もとれないのに勉強を続けてどうなるんだ」という問題である。突き詰めると「私は誰にも認められていないのに、どうして生きているのか」ということだ。
そういう問題に対するひとつの答えとして、大和屋のおばさんが描かれているのだと思う。自分の視点だけで大和屋世界を眺めていたあいだ、大和屋のおばさんは自分が大和屋を続ける意味に疑問をもっていた。大和屋世界の中心に立ち、大和屋世界を見つめていることだけを認識していた。しかしほのかの記事を読むことで、大和屋のおばさんは気がついたのだ。大和屋世界において、自分が世界から見つめられていたことに。ほのかが、そしてたくさんのお客さんが自分を見つめていたことに。
そしてほのかとなぎさも、自分たちがプリキュアとして虹の園で戦う理由はこれとおなじである。もし虹の園が闇に飲み込まれたとしても、プリキュアたちは光の園の伝説の勇者として光の園で生きていけるかもしれない。しかしなぎさとほのかにとって、虹の園がなくなってしまえば戦う意味は無いのかもしれない。家族や友人たちがいない世界など、たとえ生き残っても悲しいだけではないか。だから戦う。たとえプリキュアとしての奮闘を誰にも誉められなくても、プリキュアとしての辛さを誰にも認められなくても、私たちを見つめてくれる人たちを失わないために戦う。なぎさとほのかは、彼女たちの側で彼女たちを見つめる人がいることを知っているから戦うことができる。