2 プリキュアとルミナスのシンクロ率

今回MH第31話ではちょっと様相が変わってきたかなとおもうのだが、それでもプリキュアたちの力がお互いのシンクロ率によって生み出されるということを考えると、プリキュアたちとルミナスとの間にはまだ思いが共有されているとは言えないだろう。プリキュアたちはこれまでの戦いを通じて、ドツクゾーンから世界を守るというところに力点を置くようになっている。これに比べるとルミナスの視野に入っているのはあかねさんや奈緒美羽やポルンルルンである。
また決定的に異なっているのは、プリキュアたちは虹の園が唯一の故郷であるがルミナスにとって故郷とは虹の園光の園のどちらでもあり、どちらでもない。これは前回MH第30話で示唆されていたことだった。
(続く)

1 エヴァンゲリオンエウレカセブンの違い

両者を並べるが正しいのかどうかは分からないのだけれど、話をここに持ってきます。最近更新していないのは書くべきことが思い当たらないからで、書くべきことが思い当たらないのは萌え抜きで中長期の物語によってプリキュアを見ている僕にとって、プリキュアの現展開のどこに視点を合わせてよいのかがあまり分かっていないということなのだと思う*1
巷の評価がどうなっているのか全く分からないのだけれど、アネモネ以降特に物語が迷走していて、収まりがついていないように思う。迷走だと僕が思う理由はただひとつで、ここまで来てまだそこに物語がひとつも見えないということだ。まずゲッコーステートが軍を抜けてまで何をしようとしているのかすら分からない。普段はトラパー乗りの集団でも構わないけれど、実はこういう目的をもっているというのが分からない。ほんとにぶらぶらしているだけだ。アゲハ計画もわからないし、セカンドサマーオブラブもわからない。わからない度ではエヴァンゲリオンにおける人類補完計画も結局EOEまで分からなかった(つか考えていなかったらしいですね)わけで、アダム計画とかE計画とかいろいろあったですね。しかし人類補完計画ってのは人類を補完する計画であるわけで、視聴者は物語の展開を考えながら「人類を補完する計画」について考えることができる。
いやそもそもエヴァンゲリオンの物語は「次々と襲ってくる敵を撃退するため主人公たちがでっかい人型兵器に乗って(だいたい毎週)戦う」という巨大ロボットアニメ伝統の主軸が強固に存在しているわけで、そこで物語の駆動力を担保していたわけだ。これはプリキュアもちゃんと守っている鉄則だ。戦いの終り=物語の終りであり、そこに向かって毎週の戦いが行われる。
僕はここ10年ぐらいの人型兵器アニメとしてはエヴァンゲリオンしか見ていないので、エウレカセブンと比べるのは当然エヴァンゲリオンしかない。そういう視点で両者を比べるといろいろと似ている点が見受けられる。伏線を張りまくって放置するというのは同じなのだが、エヴァンゲリオンが結局世界と人類の行方という最大級の物語を第三東京市ジオフロントという狭い狭いご近所(最終的に世界と人類の行方は碇シンジの心の行方)に押し込めたから、番組として成立したのだろうと思う。伏線をどれだけ広げても最終的にジオフロントへと帰ってくるのだから。
ということでエヴァンゲリオンでは戦うべき敵が使徒として明確にされていたこと、また地理的にジオフロントに全てが収束していたことのふたつがあることで、その他の謎の伏線が謎のままでお話が進んでも物語が停滞しなかったのだと思う。エウレカセブンには今のところ、収束する要素が見当たらないというのがアレなんだろう。
(つづく)

*1:でもマジレンジャーは見ていて面白いんだよなあ。多分マジレンジャーの製作者たちが意図的にバカ展開を突き詰めているから、ということなんだろうな。あと長期の視点としてはお父さんだとしか思えないウルザードの立場が揺らがないというのもあるかもしれない