はじめに

今回は三度目の小田島友華登場なのだった。そこで思うのが「ふたりはプリキュア」の登場人物たちの中における小田島友華の特異性についてだ。小田島友華は自分が誰なのかという存在についての疑問を持っている。
小田島は中等部でマドンナと呼ばれ、つねにマドンナとして話題に上るのだった。こんかいも小田島が中等部の合宿に参加すると、いたるところで後輩たちがマドンナについて話しているのだった。誰かの目に映るマドンナでありつづけなければならないマドンナ。誰かのためのマドンナでありつづけなければならないというのは、小田島友華のための小田島友華であることを許されない(と小田島が感じている)ということだ。
これまで彼女のように存在についての疑問を抱いたのは、もちろんキリヤだった。キリヤはジャアクキング様のための駒でありつづけなければならないという状況を「宿命」と位置付け、ほのかとの交流を通じて獲得しつつあったキリヤのためのキリヤになるという可能性との狭間に苦しむことになった。
そのほかには誰も居ない。
それを考えると「ふたりはプリキュア」に出てくる人々は非常に安定した精神を持っているということができる。