3 存在基盤の確かさと脆さ(2)

昨日の最後に書いたことをまとめると、ひかりにとってルミナスであることをやめるわけにはいかない。いや、ひかりであることとルミナスであることとは優劣がつかない。ひとつの存在の片面を見れば九条ひかりであり、もう片面を見ればシャイニールミナスということだ。美墨なぎさ美墨なぎさであり、雪城ほのか雪城ほのかであり、プリキュアであることは彼女たちの存在そのものにとって本質ではないこととは原理的に異なっている。
なぎさとほのかはプリキュアであることをやめても、ということはひかりとの関係を断絶しても生きていける。なぎさとほのかにとって、九条ひかりという存在は取替えが効くのだ。しかしひかりにとってルミナスであること(もしくはルミナスにとってひかりであること)は、取替えの効かない致命的な事実である。

ルミナスであることを宿命付けられたひかり

ルミナス=ひかりはルミナスであることから逃れられない。ということは闇との戦いからも逃れられない。ルミナスは敵を攻撃しない。だからどうしてもルミナスはプリキュアたちに助けられなければならない。プリキュアたちもルミナス無しでは勝てるかといえば難しいだろう。しかしプリキュアたちは助っ人であり自分たちで攻撃することができる。存在の根源からルミナスであり攻撃をしないルミナスとは異なる。ルミナスにはプリキュアたちに負い目のような感情があるだろう。ルミナス=ひかりは個人的な資質としても負い目を背負いやすいだろう。
ということでルミナスはプリキュアたちに依存しなければルミナス=ひかりとして存在することができない。ルミナス=ひかりはプリキュアたちに依存しなければいけない。だからなぎさほのかと友達という対等な関係を結ぶことは簡単ではない。

ひかりとしての存在をなぎさほのかに依拠しているひかり

九条ひかりは同時にシャイニールミナスである。それらは表裏一体である。ひかりでありルミナスであるこの存在は、根源的にはクイーンの命である。
九条ひかりとしてのひかりは虹の園に所属する存在である。ひかりはあかねさんに養われている。しかしあかねさんに対して、ひかりは自分が同時にルミナスでありクイーンの命である事実を知らせることはできない。ひかりは自分の存在の秘密をあかねさんに隠している。だからひかりは全面的にあかねさんに頼るわけにはいかない。自分の真の姿のひとつを隠すことに負い目も感じるだろう。あかねさんがたとえ今以上にひかりのことを大切にしたとしても、ひかりにとってあかねさんはかりそめの親である。
だからひかりにとってほんとうの親は、自分がひかりでありルミナスでありクイーンの命であるという全てを明らかにしているなぎさとほのかしかありえない。
なぎさとほのかは自分の真実を唯一知っている。ひかりにとって自分の分裂した三つの存在様式を全て認めてくれる存在は、なぎさとほのか以外にはいない(ああ、ひかり=ルミナス=クイーンの命はキリスト=聖霊=主のように三位一体なのだな。余談)。ひかりにとってなぎさとほのかは、自身の存在を担保してくれる唯一特別な基盤なのだ。だからほのかとなぎさが自分を友達だと宣言しても、それをひかりが素直に受け入れてなぎさほのかと同じ友達の地平に自身を位置付けることができるかというと、それは難しいのではないか。