3 存在基盤の確かさと脆さ

プリキュアであること、ルミナスであること

無印第8話でのほのかのように、なぎさとほのかはぶっちゃけプリキュアであることを拒否することができる。彼女たちがプリキュアでありつづけているのは、彼女たちがそれを望んでいるからだ。無印総括のどこかで書いたことだが、彼女たちは「ふたりはプリキュア」の主人公ではあるものの、光と闇との戦いにおいては助っ人である。彼女たちは虹の園での普通の中学生というのが本来の居場所だ。
もちろんプリキュアが居なければ、光の力がドツクゾーンに渡ってしまう。そうなると虹の園も闇に飲み込まれる。だから全く関係が無いというわけではない。しかしなぎさとほのかが必ずプリキュアでありつづけなければならないというわけでもない。ほかの誰かが新たなプリキュアになりドツクゾーンと戦うということも原理的に言えば可能である。それではなぎさとほのかが無責任だ、ということも言える。でもそういうことだ。
ルミナスにとって、ルミナスであるということは違う。ルミナスであるというのは選択の問題ではない。ルミナスであるというのは、ルミナスにとって拒否することができない。ルミナスをやめることができるのは、彼女であることをやめることができたときだ。
また、現状でのルミナスは敵を攻撃しない。MH第11話で一度だけルミナスは攻撃しているが、あれも攻撃の意志は無いだろう。ルミナスがルミナスである限り、というのは結局必ずとかどうしてもということだが、闇の勢力はルミナスを追ってやってくる。そしてルミナスは、ブラックとホワイトが居なければ戦闘を終らせることができない。
ルミナスは戦闘においてブラックとホワイトに保護されなければならないわけだ。「それぞれにそれぞれの役割がある。できることとできないことがあり、それはそれで協力すればいいんだ」ということなのだ。しかし「役に立ちたい、迷惑をかけたくない」と思っているひかり=ルミナスにとって、現状でそう思うことは難しいのではないかと思う。
ルミナスはルミナスであり続けなければならない。ルミナスであることの存在的な確かさ故に、ルミナスはプリキュアたちを頼りにせざるを得ない。

なぎさほのかであること、九条ひかりであること

しかし一転して、九条ひかりであるという事実はかなり不安定である。あかねさんは確かにひかりを無条件で受け入れているし、ひかりもそれを感じてはいるだろう。しかしあかねさんには、自分がルミナスでもあり光のクイーンの命であるという事実を言うことができない。自分の存在を偽っている(ほんとうのことを話せない)のだ。
なぎさとほのかもプリキュアであるということは家族に言えない。しかし彼女たちはプリキュアになる前から家族は家族である。さらにプリキュアであることは彼女たちの選択であり、プリキュアを辞めたとしても彼女たちの家族との関係が変質するわけではない。九条ひかりはそういうわけにはいかない。ルミナス=クイーンの命であるというのは九条ひかりの根幹のひとつである。
ということで九条ひかりにとっては、自分がルミナス=クイーンの命であることを知っているなぎさとほのかこそが、虹の園に存在する九条ひかりにとっての存在基盤ということになるだろう。なぎさほのかとの関係を失うことは、九条ひかりの精神的には両親を失うことだということになる。

(続く)