2 なぎさの三点測量(2)

ほのか:内に秘めたる別のなぎさ

ほのかに対して、なぎさは「明るい人気者」以外の面を見せている。プリキュアとして悪に対峙する正義の人。それ以外にもプリキュアとして戦っている時に弱気になったり涙を見せたり、なぎさとしてもほのかを勇気付けたり、ほのかの前で落ち込んだりほのかに慰められたりしている。
なぎさは普段、周囲の期待に応えるように勤めて明るく振舞っており、それはうまくいっている。社会性という面では、なぎさはほのかよりもはるかによく適応している。
普段のなぎさは周囲に期待されているペルソナを身に付けている。常に明るく、さっぱりはきはきしていて、あまりこまやかな配慮はしない。分類するならば、なぎさのペルソナは男の子の顔をしているというわけだ。それはもともとなぎさの資質ではあるものの、なぎさは本質的に言えば臆病で我を通せないので、なぎさのペルソナは他者の視線を浴びて固定化している。それだけ、内面に息づく彼女の自己とペルソナは、彼女の自己が自信にあふれている時にはピッタリと自己にフィットする強固な鎧のように彼女を守るのだけれど、彼女の自己が揺らいでいる時にはぎしぎしと彼女を痛めつけることもあるわけだ。
そういうペルソナと自己との確執について、世代的にもっとも敏感で傷つきやすいのはおそらく小学校後半から中学生あたりだろう。それ以下であれば、自己とは親の期待を反映したペルソナと見分けがつかない。人格の始まりとは多分、個人史的にはまずペルソナの確立から始まるのだろう。その後ペルソナを通して社会生活へと接続されると、ペルソナに痛みを感じる何かが自分の中にあるということを知る。
ペルソナについてもっとも敏感な時期である年齢層の高いほうは、「ふたりはプリキュア」の視聴者と重なると思われる。ペルソナとの乖離がはっきりしており、なおかつ乖離に振り回されることもあるなぎさを主人公にしているのは良い狙いどころだなあと思う。

ペルソナの内側を肯定する存在としてのほのか

なぎさが自分のペルソナといちばん乖離するのが、藤Pと向かい合っている時である。そしてほのかはこれまでになぎさにごく近いところで、日常と非日常どちらにおいてもさまざまな試練を潜り抜けてきた。なぎさのペルソナの裏にいろいろななぎさが存在していることを、ほのかは知っている。
ほのかは無印の第11話や第15話や第38話で、家族に対する時のなぎさを見ている。第8話や第10話や第42話での、ほのかに対するなぎさを見ている。その他にも第28話などでのダメなぎさも見ているし、決戦でのスーパーなぎさも見ている。第43話に至るまでの藤P問題についても、ほのかはほぼ全部知っている。そしてペルソナの内側に存在する多様ななぎさを、全て認めている。
なぎさはほのかとプリキュアになるまで、志穂莉奈がいちばん近くに居る友人だったものと思われる。しかしなぎさは志穂莉奈に対しては、その他友人に対するのと同じくペルソナを通して関係している。ペルソナの裏側までなぎさが見せることを許しているのは、ただひとりほのかだけであり、ほのかが私的にも特別の関係にあるということだ(プリキュアとしての関係を「公的」と呼ぶとすると)。
それはなぎさにとって、ほのかに何を見せても大丈夫だと思っているからだろう。なぎさにとって、ほのかはそれを理解するだけの理解力と心の大きさを持っている「すごい人」なのだろう。