3 近くなるほど遠くなるほのか

というように、ほのか理解の方法はいくつかある。ほのかの特徴として浮かび上がってくるのが、登場人物それぞれが持っているほのかの印象がかなり異なっているということだ。いっしゅうさんのようにほのかに焦点を合わせて考えると、ほのかの中で彼女の中核をなす情が眠っている通常時と、情が表出する爆発時とでほのかの態度がかなり変わるというところに原因のひとつがあるだろう。
加えてほのかが慣れ親しんでいる理について見てみると、ほのかには彼女なりのはっきりとした価値判断基準があり、基準に合致する人に対する態度と合致しない人に対するほのかの態度がかなり明確に分かれているのも原因だろう。
更に言えば、ほのかは外的世界との関係において情ではなく理でつながることに慣れている。だから対人関係について常にほのかは距離感を測っており、ほのかと他者との親しさの度合いや関係のあり方(教師−生徒、大人ー子供、親友−友達ー知り合いーその他、先輩−後輩、など)に応じてほのかは対応を変化させている。
そしてこれらの区別要因が排他的ではないため、順列組み合わせが発生する。状況に応じて同じ人に対してすらほのかの対応が変化することになる。ほのかと近い関係になり、ほのかと時間を過ごすほどほのかのいろいろな態度を目にすることになる。だからほのかが持つ正しさの基準とその裏にある情の大きさを理解しないと、ほのかが突然怒り出したり優しくなったりするので、ほのかのことが良く分からなくなってくるだろう。
それは例えば第9話でほのかの怒りを買った野々宮さんである。彼女は普段近寄りがたい雰囲気だが特に小うるさいわけではないほのかに思いっきり注意されたことにショックを受け、科学部をやめたいと思うようになったわけだ。ところがユリコのフォローをしたり自分の行動を思い返すなどした後で、ほのかが実は野々宮自身の甘さを指摘していたのであり野々宮のことを考えていたのだということに気がついたのだった。
ということで、ほのかを理解するというのは結局のところ自分を理解するということでもある。ただしほのかの情があまりにエネルギーを出してしまうと、無印第19話のキリヤ非難のように一方的の度が過ぎる。そうなるとどうしても反発を呼んでしまうわけだが、キリヤも最後には自身が聖子に取った行動が正しくなかったことに気が付いたときにほのかを許した(だから鏡の中に閉じ込められて絶体絶命だったプリキュアたちを救った)のだった。
あのときまでのキリヤも、ほのかに深く入り込んでいた(もしくはキリヤが自分の心にほのかを深く入り込ませていた)。ほのかに近くなるほどにほのかが遠くなるというパターンをなぞっている。