1 神か人か〜一般と個別を区別する

みちたろさん(http://www.ymg.urban.ne.jp/home/mi1/p01.html、6月2日(木) ほのかを見る目 )と僕とは、ほのかを見ている視点の質が異なっている。どちらもほのかを第三者として眺めているのだが、僕の視点は「ふたりはプリキュア」のどの登場人物の視点でもない、僕としての視点である。それに比べみちたろさんは、作中の登場人物それぞれの視点を個別に検討している。たとえばなぎさの視点ではほのかが憧れとして映っているが、ユリコの視点でほのかを見ると悩みを抱えたひとりの人間として映っている。僕の意見だが部員の視点では近づきがたいスーパー部長として映っているのだろうし、志穂莉奈の視点だといい人だけれど個人的にはあまり親しくなる気持ちが湧かない「友達の友達」として映っているだろう。
それで、無印開始当初にはサブキャラクタたちがまだ生きていなかったから、番組の視点はほぼなぎさ視点と同じであり、ほのかは完璧だと思っているなぎさの視点でのみほのかが描かれていた。よって視聴者にもなぎさ視点の「完璧なほのか」が見えていた。しかし無印中盤から聖子、志穂莉奈、京子夏子などサブキャラクタが命を獲得し始め、それにともない番組もそれらサブキャラクタ視点での物語展開が可能になった。だから、サブキャラクタが抱いているほのかイメージが番組の中で描かれ始め、ほのかの不完全さが見えてくるようになった。
ほのかはもともと得手不得手をどちらも持っている普通の人なのだが、番組がなぎさ視点で進んでいるうちは、ほのかの良い面がたくさん見えていて良くない面が描かれずにいたにすぎない。サブキャラクタの視点が導入されるにつれて、彼女たちに見えているほのかの良く無い(というか普通の)面が見えてきたのだ。というのが(僕が理解した)みちたろさんのほのか論である。
ということで、みちたろさんはメタレベルで物語全体を見渡し、サブキャラクタそれぞれの個別性を保持しているということだ。みちたろさんの分析が見事なのは、物語全体をメタレベルから眺めるという抽象的な位置に立ちながら、しかしサブキャラクタそれぞれのほのか理解については安易な一般化をすることなく個別性を見失わないという、一般性と個別性のバランスをしっかりと保持しているところにあるのだと思う。
それに比べると僕は物語の連続性を見ていないし、サブキャラクタそれぞれの個別視点を無視している。