3 大きな物語を引き受けること

70年代:大きな物語の喪失

大きな物語をどのようにして引き受けるのかという手がかりが消えてしまったように思えたのは、70年代以降の課題だった。ただ70年までが良かったかというとそうでもなくて、大きな物語の引き受け方にもいろいろある。そういう各論はあるものの、70年代以降には大きな物語という枠組みを個人が引き受けること自体がそもそも間違っているというような感じになった。マクロで見ると、高度成長期の急激な人口移動による家族の物理的孤立および会社家族主義の揺らぎによる形而下の孤立化が進み、他方大きな物語の消滅という形而上の脱統合化が進み、個人が何をやっても社会としての未来は変わらないんだ、という無力感が出てくることになった。システム社会という概念が当時の人々に

一見自由な選択肢をどんどん増やしながら、実は反体制をも取り込むような形で触手を広げ、すべての人間をシステムに回収するような、そういう社会として展開しているんだ……
「言語ゲーム論」を考える 〜『「心」はあるのか』(橋爪大三郎 ちくま新書)をめぐってより引用(ただし引用部は西研さんによる佐藤卓己理解)、西研 ホームページ

というものとして理解され(80年代初期にはかなり強力な吸引力を持っていた)個人が社会に働きかける行動は全てが無駄なのだというようなあきらめが生まれた*1

80年代:小さな物語の発見

「社会に働きかける行動は全て無駄」という地点からふと後ろを振り返ると、そこには個および家族という広大な内面のフロンティアが広がっていることに気が付いたのが80年代だった。社会がシステムであるならば、個人(この私)が社会のために何をしなくても自動的に社会はいつか落ち着くところへ落ち着いてゆくはずだ。ならば個人としてこの私がすべきことは、個人としての幸福と快楽をとことん突き詰めてゆくことではないか。
というところにバブル経済による急速な富の膨張が重なり「問題があれば、誰かが金で解決すればいい。だって日本には金があるんだもの」というのはアリだった。あの「おもしろければなんでもいいじゃん」という80年代文化が現出したわけだ。
まあところが、やっぱり大きな問題がなくなったわけではない。金があったから見えなかったというか、金がずっと増えつづければ見ないで済んだわけだが、そういうわけにはやっぱり行かなかった。

90年代:80年代の遺産を糧に、再び大きな物語

バブル期は大体諸悪の根源のように言われることも多いが、あの80年代でまともな遺産があるとすれば、それは個人が個人として行動することを経験したということではないかと思う。誰がなんと言おうと、わたしがやりたいことはやるんだ(裏も真である。誰かがそれをやりたいって言うならやればいいんじゃない)という個人主義である。大きな物語を引き受けることは「ダサい」という風潮でばっさりと捨てられてしまったのが80年代だった。しかし80年代を席巻した個人主義を経て「私がやりたいんだから、私は大きな物語を引き受ける(別に大きな物語でも、やりたきゃやっていいんじゃない)」という人々がたくさん出てきた。例えば90年代以降にNPOという名称を与えられたもの(70年代の社会運動や市民運動という言葉がカバーしていたもの)を担う若者は、圧倒的に「やりたいからやる」という言葉で大きな物語にコミットしている。
70年代までのコミットメントは「社会を変革すべし。だから個人は個人を捨てて行動すべし」という大きな物語から個人を規定するものだった。90年代以降のコミットメントは「私は行動したい。だから私ができることからやる」という小さな物語に支えられたコミットメントとなっている。
(参考:http://66.102.7.104/search?q=cache:CX2R34exXccJ:box.elsia.net/~jinken/miyadaiturumi.html+%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E8%AB%96%E3%80%8070%E5%B9%B4%E4%BB%A3&hl=ja&start=7宮台真司はシステム社会論を器用にまとめて論壇に颯爽と出てきたけれど、結局90年代の浅田彰(80年代に構造主義)になれんかったな。やっぱ人間顔なのか)

*1:西研さん、とさん付けにしているように、僕は西さん好きです。