2 大人の不在

さて無印については、大人対子供のという構図の縛りが強かった。プリキュア対五人組、三人組という対立にはじまり、日常=虹の園(学園)と非日常=光の園(クイーン)およびドツクゾーンジャアクキング様)でもあった。子供向けのお話としては分かりやすい構図だ。
無印初期には、「ふたりはプリキュア」はなぎさとほのかが成長する話なんだなという推測も有力だったのだが、無印の結果としてはいまいちなぎさとほのかがいつまでたっても成長しないじゃないか(成長物語のはずだろ!)という批判も出た。まあそれはそのとおりなのだが、なぎさとほのかがいまいち成長しなかったというのは、物語の構図が基本的に「大人対子供」であったことが影響したのだろう。構図として日常=子供の世界となっていて、日常=子供の世界を大切にするというお話をつくろうとすれば、なぎさとほのかは大人になってはいけないという結論になるからだ。
で、マックスハートである。マックスハートではクイーンは崩壊してしまい九条ひかり=ルミナスという子供になってしまった。一方その結果としてジャアクキング様も(おそらく)崩壊し、洋館の少年という子供になっている。ということで、マックスハートにおいては主要な登場人物がすべて子供になってしまった。なぎさとほのかがもっとも大人に近い人物になっている。まあサーキュラスは大人なのだが、これから出てくるであろう敵さんたちがすべて大人かなあと考えると、別に大人である必然性はない。とはいえ子供同士で闇と光に分かれて戦うということにしてしまうと描写が残酷になってしまうだろうから、サーキュラス以降の敵さんたちもおそらく基本的には大人ということになるだろう。
まあサーキュラスをはじめ敵さんたちは結局のところジャアクキング様の手下であり、闇の主催者が洋館の少年という子供であることから、物語の構図としてマックスハートは子供だけの物語へと変質していると言っていいだろう。
(明日に続く)