1 二つの成長

洋館の少年と九条ひかりとは、表裏一体であるらしい。思うにこれは、無印開始時にとりあえず話の取っ掛かりとしてジャアクキング様と光のクイーンが表裏一体であるという設定をしてみたが、いざその設定を拡張してみたら面白い物語になるなあという感じで、マックスハートの中心的な世界観に昇格した「怪我の功名」であるかのように思われる。
今回MH第4話では、とうとう洋館には山のようにおもちゃが届けられている。これがどこからやってきたのかはもうよく分からない。まあそんな細かいところはどうでもいいのである。洋館にはおもちゃが山のようにある。それが何を意味するのか(というより、おもちゃが山のようにあるという状況によって何を意味しようとしているのか)ということを考えなければならない。
洋館の少年は、現状ではだんだんと口数が増え、無邪気さを増し、楽しげに振舞うようになっている。サーキュラスが影となり少年を見守り、執事ザケンナーたちは「じい」の立場で少年のよき遊び相手を演じている。現在の少年には何一つ悩みは無く、抑圧する他者も無く、不安も無い。子供としての位置を「恵まれているー恵まれていない」という尺度を考えると、少年はかなり恵まれた(表の)位置にいる。ちょうどそこから符号を反転させたかなり恵まれていない(裏の)位置には現在の九条ひかりが存在する。九条ひかりは孤独で、悩むべき何かすら無く、彼女には抑圧されるべき誰もいないという事実が抑圧であり、不安を感じる対象すらないことが不安である。
ぶっちゃけ少年は孤独ではなく心を開いており、九条ひかりは孤独であり心を閉じているということだ。ただしどちらも子供である。