1 主人公一人称の物語

無印「ふたりはプリキュア」は主人公なぎさ(とほのか)一人称の物語だった。ごく普通の中学生が突然降って来たわけの分からない物体に勝手に見込まれて、変身ヒーローとして化け物たちと戦うことになってしまう−というのが「ふたりはプリキュア」の始まりだった。
この始まりと、物語が主人公の一人称で進んでいくという構成はよくマッチしていた。一年目前半、闇の存在たちは必要最小限にちかい描写しかされなかった。主人公が5人の敵のうち3人について敵の名前を最後まで知らなかったし、知っていても区別しようとしなかった。敵が一体何人いるのかも結局主人公たちにはずっと分からなかった。
また主人公たちは、光の園についてもメポミポから受けた説明しか知らなかったし、光の園を直に目にしたのは一年目前半全26話の25話目だった。戦いの理由についても主人公たちに十分な説明は無かった。光の園の棟梁である光のクイーンの声すらも聴いたことが無かった。彼女たちは、光と闇との対立という大きな物語のために戦う決意を固めたのではなかった。「そこに戦いがあるから」彼女たちは戦う決意を固めざるを得なかった。
ごく普通の中学生の立場を保持したままプリキュアであることを選ぶ、ということを伝えるためには、主人公による一人称の視点で物語を構成したのは正しい選択だった。何も分からないのに無理やりプリキュアになってしまった中学生ふたりの心象が、番組を見ている視聴者に良く伝わっただろう。主人公たちも知らないし、視聴者も知らないという構成をとったことで、視聴者は主人公たちと同じ視点で番組を受け取ることになった。「彼女たちと私たち(視聴者)の物語」という構図になった。
描き方としては「主人公たちは知らないが、視聴者は知っている」という構成もありうる。でもこの構成を採用していたら、主人公たちと視聴者との間には知識の差異ができてしまい、主人公たちの活躍を「彼女たちの物語」として外部から眺めるという構図になる。
この構成をとったことで、副作用として対立の構図が良く分からなかったり、敵方の物語が薄くなってしまったり、ジャアクキング様との最終決戦が突然やってきてあっけなく終わってしまったりということになった。
また、一年目開始時点では視点を任せられるほど描写された人物がなぎさほのか以外にはいなかった。突然良く分からない人の視点で話が展開したりしなかったので、小さいお友だちにとっては分かりやすかっただろう。