2 完璧な「ごく普通」の女の子

なぎさとほのかの物語は、ごく普通の中学生であるという地点から始まった。「ふたりはプリキュア」はそんな彼女たちが突然光の園虹の園を救うヒーローになってしまったら? というシミュレーションでもある。戸惑いながらも積み重ねられてゆく現実。なぎさとほのかお互い、メポミポとの生活が続き、片やドツクゾーンの魔人たちとの戦いが続く。やがて投げ込まれ過ごさざるを得ない「プリキュアであること」を受け入れはじめた。プリキュアであるという現実を受け入れることで新たな絆が結ばれ、彼女たちは人として、プリキュアとして成長してゆく。
しかし今回第33話では、莉奈が言う。私たち(志穂莉奈)はなぎさのようにラクロスができるわけじゃない。必死にがんばって、ようやく2年生でレギュラーを取ったときにはとてもうれしかった。これまでなぎさが「私みたいな普通の女の子」と言う度に「いやスポーツ万能、明るくてみんなの人気者で自分の部屋がある首都圏のマンションに住んでいるなぎさは、けっこう普通じゃない」という意見がネットに出てきた。
それはその通りで、小さなお友だちの(正しく言えば小さなお友だちの精神構成に大きな影響をもつ親たちの)現実的な希望をほぼすべて体現しているのがなぎさだ。なぎさは普通ではあるが、彼女のすべてが普通だとしたら、それはそれで普通ではない。なぎさは完璧なごく普通の女の子である。スポーツ万能とはいうものの、都道府県選抜に選ばれるまでではない(のだろう)。
属性一つ一つをカウントしてゆけばどこまでも普通であり、それゆえなぎさ自身は自分のことをごく普通と感じているのだろう。特にほのかが近くにいれば、なぎさが自分をごく普通の女の子だと認識してもそれはおかしなことではない。
しかし志穂莉奈からすれば、なぎさは十分特別な存在だったのだ。視聴者の大半もおそらく、なぎさは少なくともごく普通ではないと感じているのではないだろうか。
今回莉奈が言った「私たちはなぎさのように特別じゃない」という言葉は、視聴者となぎさとの間にある「普通の女の子」定義をめぐるギャップを物語として公式に確認したということなのではないだろうか。自身が完璧な普通の女の子として特別であるという事実を、なぎさが今後認識するかということはわからない。しかしいつまでも「自分は普通の女の子だから」と言いつづけることは、無意識にでも自分がプリキュアであるという特別性からの逃避にもなりかねない。
もちろん自分が選ばれし特別の存在であることを吹聴するというのは愚かなことだ。しかし普通だから、というセリフをなぎさが口にしなくなったとき、彼女は精神的にもほんもののヒーローへと成長を遂げるのではないだろうか。