1 再構築可能な現実

闇の者として覚醒したとたん虹の園での人間としての存在が消えて、そこまであった世界を「自分が最初からいなかった世界」に矛盾なくすりかえてしまった(院長が最初から別の人だったことになってしまったシーンがありましたね)。つまりあの3人は、自分が行動しやすいように「世界を造り替え」てしまってるんです(itamasu, id:dokoiko:20040822のコメントより)

ふたりはプリキュア」視聴者のほとんどはおそらくなぎさとほのかが住む世界を視聴者自身が住む世界と同一視しているだろう。とくに小さいお友だちについてはそうだろう。しかしなぎさとほのかが住む世界は、実は僕たちの住む世界とは似て非なる世界なのかもしれない。
というのは、itamasuさんが上記コメントで看破しているように、今回の分身たちはそれぞれ覚醒した瞬間に、身体をのっとった人間たちの過去を消去しているだろうからだ。だろう、というのは過去の消去が直接描かれたのは、社員角沢の場合しかないからだ。とは言え一人でもそうならばおそらく三人とも過去を消去されているのだろうと予見できる。
いうまでもないが人間が消えれば問題になるからだ。三人目のおじいさんぐらいの年になれば、姿を消しても誰にも気にされないということもあるだろう。でもレギーネが乗っ取った少女は年齢を高く見積もったとして高校生ぐらいで、おそらく問題になるだろう。家出少女ならばそうでもないだろうが、画面に描かれている少女の表情などを僕の主観で判断すれば、彼女はちゃんと保護者の下で生活しているだろうと思う。
そんな危なっかしい妄想をしなくても、レギーネ登場のときに発生していたはずの自動車事故を挙げれば済む。あの自動車事故はそもそも事故ではないのかもしれない。レギーネもしくはザケンナーから運転手に転送されたヴィジョンだったという説明もできるように描かれている。だからこそ運転手は正気に戻って車が事故を起こしていなくても、気のせいだと思うことができる。しかしまあ素直に物語を解釈すれば、あの事故は事実発生していて、レギーネ(というかジャアクキング様の残存エネルギーのようなものだろうか)が現実を再構築したと考えるのが妥当だろう。
今回のベルゼイ・ガートルードについても、彼が現実を再構成していることが示されている(とはいえ彼の場合、人の記憶を操作するぐらいのことで事足りる描写ではあるが)。彼の登場シーンは病院の廊下を歩いているところだった。そこへ病院の医師ひとりと女性看護士ふたりがすれ違う。三人がガートルードとすれ違ったところで、ガートルードの目を見開いたアップになる。すると三人が立ち止まり、何度か瞬きをし、何かに気が付いたように後ろを振り向く。そして「あ、院長先生。おはようございます」と挨拶をする。
医師や元医師の書き物や小説、ドラマなどを見るに、院長先生に挨拶をせず通り過ぎる医師や看護士はぶっちゃけありえない。それどころか三人にはガートルードとすれちがうまで彼のことがまるで見えていないような描写だ。
そして彼が目を見開き、何かパワーを解放すると現実が再構築される。彼はその病院の院長だったという新たな現実が構築されるのだ。
これはかなり手ごわい。分身たちの身体能力が強力だと言うことではない。なぎさとほのかが当然のものとしてそこに生きている現実そのものが不安定なものであるというこの情況が、今後の戦いを厳しいものにするだろうということだ。
ではitamasuさんが

彼らは世界を「プリキュアのいなかった世界」にすりかえることができなかったのかもしれない

と書いているように、そもそもプリキュアのいない世界にしてしまえばよいのだ。しかしそれではドツクゾーン編もなくても良いことになってしまう。ジャアクキング様消滅直前の最後の気力が彼ら三人の分身を作り出しているわけで、今のところ三人の力をあわせてもジャアクキング様の力には及ばないものと考えられる。そしてそのジャアクキングさまでさえプリキュアのいない世界を現出することができなかったのだから、三人の分身が現実を再構築する能力は、彼らの周囲もしくは世界の一部にしか届かないのだと考えるのが妥当なところだろう。
彼らが持つことが明らかになった現実再構築の能力は、今後の物語でもかなり重要な役割を持つのではないだろうか。ぶっちゃけ、あの能力があればかなりぶっ飛んだ物語だって可能になる。物語の幅が広がるこんなおいしい能力を放っておく手はない。ただそういう物語の作り方は諸刃の剣でもあり、やりすぎると収拾がつかなくなる。
現実というあたりまえと思っている生活の前提がじつは不安定だというのは、サスペンスやホラーには定番の手法だ。復活編は最初からホラー的に構成されており、その点一貫している。取ってつけたような始まりだったドツクゾーン編とは違い、復活編は構成を練っているなという感じだ。