2 ちゃんとした続き物に

復活編は今のところ、ちゃんとした続き物に見える。相変わらず描かれない部分が多くてもったいない感じがするのだが、その点については後述。ひとまずドツクゾーン編で感じたちぐはぐさを整理してみる。
ピーサード編では物語の大枠を提示することに比重が裂かれていて、放映回ごとに物語はぶつぶつと途切れているエピソード型のシナリオだった。とりあえず学校行事や語るべき設定(光の園の設定、プリキュアの設定、ドツクゾーンの設定など)を箇条書きに書き出し、それを5話分に割り振って特急仕事で作り上げたようなちぐはぐさが感じられた。ゲキドラーゴ編では第8話がまず構想され、そこにたどり着くまでの話として第6話、第7話がつくられたように思われる。第9話から第11話まではまた単発のエピソード型に戻っている。つまりキリヤが出てくるまで話があちこちに飛んでいて、物語がどのように展開していくのかがいまいち分からなかったということだ。
また映像としての見せ方については、平板な感じだった。アングルにもさほど凝ったものは使用されていない。だからこそ演出意図が明確に映像化されていた第8話が印象に残るのだろう(第8話演出についての評価はさまざまだが、そこに過剰なほどの演出意図があったことについては合意があったと言えるだろう)。
ドツクゾーン編が続き物になってきたのはキリヤが出てきてからだ。今から考えると、キリヤ登場回と言っていい第13話「ご用心!年下の転校生」にて駅プラットホームのキリヤが見せた唖然とした表情が、その後のキリヤが見せた激動の物語のはじまりだったのだ。キリヤが消滅を選んだのが第21話だから、キリヤの物語は放映9回に渡っている。その全てでキリヤの物語が展開したわけではないが、キリヤの心、キリヤとほのかの関係は放映ごとに着実にラストシーンへと進んでいた。前シリーズ5人の魔人たちの中で唯一キリヤだけが「キリヤはどうなるのか」と彼の行く末が問題になった(でしょ)のは、彼だけが唯一ちゃんとした物語を持つことができたからだ。
あとの4人についてはバックグラウンドとして背負うものはあったが、それは本編に生かされることはほぼなかった。だからピーサード、ゲキドラーゴ、ポイズニーイルクーボはそれぞれ突然語りだしたり変身したりして、それが視聴者においてけぼり感を抱かせたのだろう)。ジャアクキング様も結局最後の何分かに彼の妄想を突然語りだし、それが妙に深刻なのが浮いていた。キリヤ以外の魔人たちがそれぞれの最後に語った論理は、アニメなんだから物語として映像に表さなければいけないだろう、ということだ。
それで話は復活編に進むが、

  • 復活編の敵は三人
  • 三人はジャアクキング様の分身
  • 種から生まれ、エネルギーを得て成体となる
  • ジャアクキング様の意識を記憶として受け継いでいる
  • 三人の目的はジャアクキング様を復活させること
  • 三人が集まったとき、物語が始まる

ということで、シリーズ2話でだいたいのことが分かった。また第27話で一人目、第28話で二人目、第29話で三人目(予告だが)と立て続けに物語が展開するという物語の速さは、前シリーズが基本的に一人ずつが入れ替わりで5話分を順番に担当したことを考えると、ずいぶん展開がてきぱきとしている。入れ替わりの前シリーズでは、敵が変わると振り出しに戻る的な減速感も感じたりしたが、今回は三人がさっさと登場してしまうので、物語も積み上げで進めるしかない。
まあ入れ替わりだと勢いが落ちていても新展開でリセットできるという利点はある。復活編が途中でダレてしまったとしたら、どう盛り返すのかはどうだろう。